福岡開幕まで

第38回PFF

東京会場
9月10日[土]~23日[金] 東京国立近代美術館フィルムセンター
京都会場
10月29日[土]~11月4日[金] 京都シネマ
神戸会場
11月3日[木・祝]~6日[日] 神戸アートビレッジセンター
名古屋会場
11月11日[金]~13日[日] 愛知芸術文化センター
福岡会場
2017年4月開催予定 福岡市総合図書館

◎コンペティション部門PFFアワード2016

PFFアワードは、自主映画のためにあります。自主映画とは、自ら企画し、自ら創り上げる映画=DIY映画です。だからこそ生まれる“よろこび”と“オリジナリティ”、予期せぬ驚きと力への期待を、本年はこの20作品に込めてお贈りします。
※最終審査員や各賞の紹介、審査方法など、詳しくは「PFFアワード2016について/賞」をご覧ください。

PFFアワード2016 準グランプリ&ジェムストーン賞(日活賞)&日本映画ペンクラブ賞&観客賞(名古屋・福岡)

『花に嵐』

監督:岩切一空(23歳/東京都出身)

大学入学後、誘われるがまま映画サークルに入った"僕"は、部室に置いてあったカメラを借りて映像日記を撮り始める。新しい環境の中、行く先々で"僕"の前に必ず現れる一人の女の子。新入生?上級生?なんとなく気になってしまう彼女に、"僕"は未完に終わった映画の続きを撮ってほしいと頼まれる。
新しい環境で次々と出会う女性に振り回される、巻き込まれ型主人公。擬似ドキュメンタリーのような体裁をとりながらカメラを回し続ける"僕"は、次第にまだ存在しないフィクションの一部になっていく。

日本映画ペンクラブによる作品評
映画評論家・映画監督 田中千世子

 すこぶる知的、すこぶる大胆。
 映画づくりの映画としての自主映画という既成の枠をわざわざこしらえるふりをして、そこからダーッと飛び立つのだ。羽がもげて墜落するかもしれないのに、そんな不安はうっちゃって、青空ならぬ灰色の空に飛び立っていく。
 主人公の<僕>がへたくそな技術のまま映画研究会のカメラを借りてあれこれ回すが、それは映画がシネマトグラフ、つまり動きを写すカメラから誕生した歴史を素朴になぞることなのだろう。なぞっている内にドラマが始まる、というドラマツルギー。主人公を翻弄し、あれこれ命令する不思議なミューズ<花>の真実がいつのまにか虚の世界に溶けて行く。その行き来がおもしろい。
 映画的虚実の思想は、イエジー・トルンカの人形アニメ『真夏の夜の夢』がシェイクスピアの文学を突き破るラストを見せたり、柳町光男監督の『カミュなんて知らない』が殺人というリアルを映画づくりのリアルにぶつけて、なまなましく実在させる時に、言葉を超えた神域に入っていく。岩切一空監督の『花に嵐』もまた、然り。過去の事件が解き明かされて、すべてが沈静化していくかと思いきや、<僕>と<花>は全人未踏の世界へ旅だっていくのだ。イカロスなんて怖くない―。
 それだけでも驚くのに、自ら主演して、ラブホテルでドギマギする<僕>のとぼけた味わいがメキシコ時代のまさにブニュエル。おかしくて、楽しくて、このテイストはどこかラテンのマジカル・リアリズム。そうした色々な特徴が、つぎはぎなんかでは全然なく、大きなエネルギーとなって固まった。
 岩切監督の才能に幸多かれ!

映画評論家松崎健夫

 映画監督なるものは、<映画についての映画>を一度は撮ってみたいと思うもの。例えばそれは、フェデリコ・フェリーニの『8 1/2』(63)や、フランソワ・トリュフォーの『映画に愛をこめて アメリカの夜』(73)など、著名な監督たちのフィルモグラフィーからも裏付けられる。この<映画についての映画>は、自主映画・学生映画の世界にも散見するのだが、その多くはひとりよがりであることが多く、大人の視点からすると「自主映画の苦労? そんなもの知らないよ」と辟易させることもしばしば。
 大学の映画サークルへ“綺麗な先輩”目当てに入ってしまった主人公の顛末を描いた『花に嵐』もまた、表層的には同様の自主映画的な<映画についての映画>を描いた作品のように見える。不本意に借りることとなったビデオカメラの<レンズ>が、主人公=監督の<目>となる本作は、昨今ホラー映画の分野で多用されているPOV(主観映像)で全編撮影されている。慣れないビデオカメラの操作に、被写体の定まらない映像。当初はトンデモない映画を見せられているような不快さを誰もが抱くに違いないのだが、やがてそれは監督の確信犯的な演出だということが徐々に判ってくる。
 例えば、ビデオカメラの<レンズ>=監督の<目>のはずのだが、<目>の持ち主である監督は、以前のビデオカメラのように常にファインダーの中を覗いているという訳ではない。監督の<目>は、観客がスクリーンに映し出された映像として観ているものよりも、実際にはもっと広い視野・画角で撮影現場を観ている。つまり、手持ちで被写体の定まらない無秩序な映像を観せられていると思っている観客が、実は監督の意図によって切り取られた映像だけを観ているのである。常に視点は誘導され、監督が見せたいものだけを観客は観ている。その錯誤は、映画冒頭の勧誘場面から巧妙に演出されているのだが、これは「初心者である監督」=「学生映画」=「ヘタクソ」という観客の固定観念のようなものを巧みに利用しているのである。
 そして本作は、独白による青春映画のような体で始まりながら、徐々にジャンルを越境し、POVの特性を活かしたホラー映画の様相をみせるに至り、現実と虚構の境界線をも曖昧にさせてゆく。このPOVの手法によって観る側の固定観念を揺さぶる演出には、白石晃士監督による『戦慄怪奇ファイルコワすぎ!』シリーズと同様の系譜を指摘できる。また、井伏鱒二の文学を愛した川島雄三の言葉を引用したタイトルには、映画製作への愛と覚悟を感じさせる。そして映画終盤では、「映画は記憶である」ということさえも示唆させている。それゆえ『花に嵐』は、新たな時代の<映画についての映画>である、といえるのではないだろうか。

Profile

岩切一空Isora Iwakiri

1992年生まれ、東京都出身。早稲田大学文化構想学部文化構想学科に入学、映画サークルに入り、映画制作をスタート。本作の空撮時、ドローンが用意できなかったため、風船40個にカメラをつけ、糸で操った。

= 上映スケジュール =

[2016年/76分/カラー]
監督・脚本・撮影・編集:岩切一空/録音:石川領一
出演:岩切一空、里々花、小池ありさ、篠田 竜、半田美樹、不破 要、吉田憲明

このページの上部へ戻る