福岡開幕まで

第38回PFF

東京会場
9月10日[土]~23日[金] 東京国立近代美術館フィルムセンター
京都会場
10月29日[土]~11月4日[金] 京都シネマ
神戸会場
11月3日[木・祝]~6日[日] 神戸アートビレッジセンター
名古屋会場
11月11日[金]~13日[日] 愛知芸術文化センター
福岡会場
2017年4月開催予定 福岡市総合図書館

【PFFアワード2016について/賞】

審査講評

【最終審査】

2016年9月23日(金)の「PFFアワード2016表彰式」にて、最終審査員5名およびパートナーズ各社より述べられた、各受賞作へのコメントをご紹介します。[人名敬称略]

グランプリ

【受賞作品】

『食卓』監督:小松 孝

【プレゼンター】

最終審査員:遠藤日登思(映画プロデューサー)

「グランプリと準グランプリをどちらにするか、最後まで審査が難航しました。討議の上、最終的には審査員全員による決戦投票をした結果、僅差で『食卓』がグランプリを獲得しました。『食卓』という映画は、身近な日常を素っ気なく扱っているように見えて、実はかなり緻密に丁寧に作られ、細部にまで監督のこだわりが表現された作品だと感じました。ぜひ次回作も観てみたいです」

[副賞:賞金100万円]

準グランプリ

【受賞作品】

『花に嵐』監督:岩切一空

【プレゼンター】

最終審査員:野田洋次郎(アーティスト / ミュージシャン)

「この作品はとても好きでした。やはり展開としても、エンタテインメントとしても面白かったですし、何より、(監督は)こんな風貌というか、一見大人しそうな風体ですけれども、かわいい子とエッチなことをしたりとか、そういう自分の欲望を映画の中に凝縮しているような感じがして、とても好感が持てました。これからもまだまだ楽しい作品を撮ってほしいと思います。いつか何かしらで一緒に仕事ができたら」

[副賞:賞金20万円]

審査員特別賞

【受賞作品】

『シジフォスの地獄』監督:伊藤 舜

【プレゼンター】

最終審査員:荻上直子(映画監督)

「15年前、私はここで賞をいただいて、「絶対にスカラシップを取る!」と思って、取って、映画監督デビューしました。今があるのは、PFFのおかげです(笑)。
映画の完成度としては正直まだまだ、と思いますが、なぜか私はこの映画からものすごい得体の知れないエネルギーを、一番感じました。あと、タイトルが、すばらしいですね」

[副賞:賞金10万円]

【受賞作品】

『溶ける』監督:井樫 彩

【プレゼンター】

最終審査員:佐渡島庸平(編集者)

「映画としての完成度も非常に高く、田舎に住む女性の閉塞感、そういう青春時代ならではの、みずみずしさというものが非常に丁寧に描かれていました。観ながら、自分も若かった頃こういう閉塞感を感じていたな、というのをしっかりと思い出すことができ、更に、年齢が若いのにこのような作品をしっかり作りきったというところが素晴らしいと思いました」

[副賞:賞金10万円]

【受賞作品】

『また一緒に寝ようね』監督:首藤 凜

【プレゼンター】

最終審査員:沖田修一(映画監督)

「とても強いやり方のようなものがあって、なんだかわからないけれど、とにかくもう一回観たい!と思いました。ヒロインの方が魅力的で、でも、もう一人の彼氏の役をやっていた方もとても魅力的で、みんながこの作品を楽しんでいて、引いた目で、それでもって、おもしろく作っているなと、とても好感が持てました」

[副賞:賞金10万円]

エンタテインメント賞(ホリプロ賞)

【受賞作品】

『DRILL AND MESSY』監督:吉川鮎太

【プレゼンター】

株式会社ホリプロ代表取締役社長 堀 義貴

「ラストシーンや、ラストの台詞までの過程が、言ってしまえば気持ち悪いところもいっぱいあるのですが、最後の台詞で奇をてらわずに、そのまま、その台詞になると。余計なことをやらずに、いいぞ、潔いぞ、そのとおりだ!というエンディングにしていただいた、という意味ではとてもパンキッシュであるし、お客さんの心を掴む作品だったということで、選ばせていただきます」

[副賞:AMAZON商品券]

ジェムストーン賞(日活賞)

【受賞作品】

『花に嵐』監督:岩切一空

【プレゼンター】

日活株式会社代表取締役執行役員社長 佐藤直樹

「この監督の次の作品が一番観たいというタイトルがこのタイトルでした。正直、POV視点がどうだとかっていうのは見たことがあったり、オチも狙ったなという気はしましたが、彼の作る次の映画を観たいというところでは、審査したスタッフみんなが一致していました。ぜひこれからも、新しい才能を発掘するこの場で賞を与えられるように、僕ら自身も映画製作をがんばっていきます」

[副賞:旅行券]

映画ファン賞(ぴあ映画生活賞)

【受賞作品】

『また一緒に寝ようね』監督:首藤 凜

【プレゼンター】

ぴあ株式会社 ぴあ映画生活編集長 阿草弓子

【一般審査員】

浅野智子、新谷和輝、村松健太郎

「この作品について色々な意見が出ましたので、講評を一部紹介させていただきます。『ヒロインが魅力的で、彼女に感情移入ができた』『突飛な設定でも、それに頼らずストーリーを回収していき、おもしろかった』あと、一人の方が『ハッピーで、みんなを幸せにする映画』だと仰いました。まさに映画館で一般の方に観ていただくにふさわしい言葉だと思っています。あとは、全員一致の意見で、監督の次の作品が観てみたいということでした」

[副賞:ホテル宿泊券]

観客賞

【受賞作品】

『ヴァニタス』監督:内山拓也

【プレゼンター】

東京都近代美術館フィルムセンター主幹 岡島尚志

「クエンティン・タランティーノは自分の映画と観客についておもしろいことを言っています。『私の映画を百万人の人が観てくれるなら、百万通りに観てほしい』また、ジョン・フォードが、『映画の基本は地平線である』と言っていますが、横の線というものを、ものすごくきちんと考えられて撮られていることに、私は感動いたしました。すばらしい映画だと思います」

[特別設置] 日本映画ペンクラブ賞

【受賞作品】

『花に嵐』監督:岩切一空

【プレゼンター】

日本映画ペンクラブ代表幹事 渡辺祥子

【審査員】

日本映画ペンクラブ 松崎建夫、田中千世子

「一見すると、『私映画のこと何も知りません』みたいになっているのですが、実は映画のことをものすごく良くわかっている作品でした。その狡猾さに、映画評論家をやっている私は、『お前ほんとにわかってんのか』という風に言われている気がして、こう映画評論家自身も試されているような、また、このPFFの中での独創性とか新しい才能という点で言うと、POVという主観映像を使っていて、今まで見たことのないような作り方をしているという点で評価させていただきました」(松崎氏より)

[副賞:MIKIMOTO銀時計+映画評]

【最終審査員による審査講評】

「PFFアワード2016表彰式」の最後に、最終審査員の方々に審査を振り返っていただきました。

遠藤日登思(映画プロデューサー)

今回、初めて審査員というものをお引き受けしました。滅多にない機会と思い5日間フィルムセンターに通い、全作品をスクリーンで拝見しました。会場で観ていると、周りの席にいる監督やスタッフ、キャストの方たちの緊張とか、いろいろなエネルギーが伝わってきて、映画を見ているだけで、ぐったりする程疲れてしまったのですが、それがとても貴重な体験になりました。この後20人の監督たちとお話しできるということなので、忌憚なくいろいろな話をしたいと思います。

沖田修一(映画監督)

15年ほど前、VX1000というカメラが発売されました。僕はその頃、映画を作っていましたが、「すごいものが出たぞ!」と、技術が備わっていると言われてきましたが、その中で何が撮れるのかというのは、僕の時代よりも今の若いつくり手の方がプレッシャーを感じるだろうなと思いました。20作品すべてを観て、閉塞感、というものは確かに感じましたが、その中で自分の居場所を見つけて、どう映画を作るか、が大事だと思います。でも、同じ監督としては、毎年新しい才能が出てきても困ります(笑)。また、自分の身の回りで面白いものを見つけて映画を作っているなと感じる作品もありました。『バット・フロム・トゥモロー』や『ヴァニタス』が、とても好きでした。あと『波と共に』も好感が持てる作品でした。他にもたくさん作品名を挙げたいぐらいです。

荻上直子(映画監督)

20作品を全て観た感想としては、全体に閉塞感がいっぱい漂っていました。今の20代30代の若者はこんなに閉塞感がいっぱいなのかと、実はちょっと不安にもなりました。その中でも自由な風を吹かせていたのは『おーい、大石』という作品だったと思います。大好きな映画でした。
私は15年前にここで賞をいただいたとき、本当に映画が作りたくて作りたく仕方がなかったのですが、15年経った今でも、毎日映画が作りたくて仕方がなくて。きっとここにいる監督たちもずーっと映画が作りたい気持ちなのだと思います。どうか作り続けて下さい。

佐渡島庸平(編集者)

映画というものは、作りきること自体がすごく難しいと思います。たくさんの人を巻き込み、それを最後まで作りきったという時点で、すごい才能です。あとはデビューをしたり、仕事として成り立つかが問題ですが、作り続けて自分のモチベーションを保つこと、これができればいつか日の目を見ることができると思います。今回、選考している時に、非常に悩んだ2作品があります。『傀儡』と『もっけのさいわい』は、賞に相応しいのではないかと審査員と議論をしました。どちらも映画としては非常に完成度が高く、すごく手間暇もかけられており、すばらしい作品だったと思います。同じく審査員をしている監督たちに聞きましたが、完成した作品は観直すのが恥ずかしいそうです。作るところまでは何度も何度も聴き直し観直し、でも作り終わってしまうと観直せないと。それは、作るときに、自分のすべてをさらけ出すからです。受賞された作品は、監督が自分をさらけ出しているその度合いがほかの作品より秀でています。映画としての完成度よりも、記憶に残る、ということだと思います。

野田洋次郎(アーティスト/ミュージシャン)

僕自身まだまだものを作る新人というか、若手の気持ちとして、これから自分で何かをやってやろう、何かこの世界にまだないものを作ってやろうという気持ちできっと皆さんもいると思ったので、同志として関わりたいと思い参加させてもらいました。「映画はPUNKだ」というキャッチフレーズが今年はありましたが、もっともっとはみ出ていいな、はみ出る作品があっても良かったなというのは個人的に思いました。映画の体を成してなくても、これって映画なんでしょうかというものがあっても良かったと。僕も音楽を作っていていつも思うことなのですが、楽器や機材がよかったり、環境や設備をよくしていけば精度は上がりますが、本当にお客さんが見たいものはそこじゃないんだな、とつくづく思わされました。音楽で言えばCDやオーディオ、映画であればスクリーンからどれだけのものがはみ出ているか、ということを僕はいつも知りたかったり、はみ出たところを見たかったりしています。そして自分の気持ちや想い、熱量や時間を込めれば込めるほど、絶対にそこからこぼれ落ちて届いていくものがあるのではないかと思っています。皆さんがこれから作る作品でも、たぎる思いがこぼれていてほしいなと思います。グランプリ以外では『もっけのさいわい』『おーい、大石』『山村てれび氏』も大好きでした。表彰はできなかったのですが素晴らしい作品でした。

【一次・二次審査】

PFFアワード2016の入選20作品は、応募作品483本から、PFFディレクターの荒木と15名のセレクション・メンバーが選びました。約4か月にわたる審査を、メンバーそれぞれに振り返ってもらいました。[50音順/人名敬称略]

入選作品決定方法

2016年3月23日の締切(当日消印有効)から、「1作品をセレクション・メンバー最低3名が、途中で止めることなく完全に観る」というルールのもと、1次審査が行われます。「1次審査会議」では、その作品を観た3名が他のメンバーにぜひ観せたい作品を推薦していきます。こうして、全員で観る「1次通過作品」が決定され、全セレクション・メンバーが1次通過作品を鑑賞して臨む「2次審査会議」は、深夜まで討議が行われます。この、約4か月を費やすプロセスを経て、最終的に入選作品はPFFディレクターにより決定されます。

内田伸輝(映画監督)

初めてセレクションに参加をしました。作品名、監督名、分数、それ以外の前情報が分からないDVDを143本観るのは、とてもワクワクした時間でした。僕は今回のセレクションに限らずどの映画でも「この作品から渾身の力を感じるか?」という、なんとも曖昧で主観的な見方をしてしまう。なので審査会議では「力強い」という言葉を連呼し、それはコメディーだろうと、シリアスだろうと、僕の基準は「力強さ」が作品から漲っているかで、今回の応募作の中にそれがあったか?と聞かれると、技術に走ってしまったり、変に音楽に、ナレーションに頼った作品が多かった気がする。誰でも映画が作れる時代だからこそ、技以外の部分にもっと時間を費やさないといけない。
それは、普段仕事で役者さんに演技指導をしているからか、役者さん達にもそれを感じた。小手先の演技をしてても何も響かない。技を超える瞬間を僕は観たいと何度となく観ていて思った。
しかしながら、キラリと光る役者さんもいました。入選、選外関係なく作品と役者さんをあげれば『狂える世界のためのレクイエム』(太田 慶監督)の阿部隼也さん、『横顔』(古橋麻里奈監督)の笠松 将さん、『early summer』(中村祐太郎監督)のGONさん、『暇乞い白書』(木村聡志監督)の岡 奈穂子さん、『溜息が叫び出す』(佐々木友紀監督)の小野まりえさん、『イート』(横山久美子監督)の宮城美寿々さん、『築かない』(松崎敬太監督)の龍 健太さん、日高七海さん、『もっけのさいわい』緒方健児さん、志賀聖子さん、『私の窓』北村美岬さん、『溶ける』道田里羽さん、ウトユウマさんは「技」だけに頼る演技ではなく、心から吐き出す演技をしていたと思います。彼等は今後も注目していきたい役者さんでした。

江村克樹(PFFスタッフ)

今年の招待作品部門に、1970~90年代前半の自主制作映画を紹介する「8ミリ・マッドネス」という企画がある。そこには「PUNK」というテーマの元に選ばれた11作品が並ぶ。これら8ミリ作品のデジタル化を担当したのが縁で、監督たちに当時の話を伺うことができた。そこで、もれなく聞くことになったのが、作り手のモチベーションが「自分たちにしかできないことをやる」という精神にあったこと。つまり商業的な映画では撮れない純粋な衝動をそのまま映画にし世間を驚かせるんだ、という野心や反骨心が強い武器となったのだろう。その証拠に8ミリフィルムには時にこちらが動揺するほどに当時の熱が閉じ込められている。
翻って今、自主映画作家たちは何をモチベーションに闘うのか?非常に見えづらくなっていると思う。若手監督たちから漏れ聞く悩みも多岐に渡っている。選択肢が多すぎる現状もあるだろう。
映画は、時代を好むと好まざるとに関わらず、映しこむ。今の自主映画には8ミリ時代の蒸せ返るような熱気はないかもしれない。でも、この時代にこそ生まれる熱は必ずある。審査を終えて数か月経った今でも頭の中に残っている審査作品は、どれもそんな熱を帯びていた。
審査中、画面からその熱を感じた時、その時間は何事にも代えられない至福のものとなった。そして、何の情報もない未知の作品に向き合うスリリングな時間は、贅沢という他ない体験だった。

小原 治(映画館スタッフ)

人が現実を生きていく上で、映画は必要だ。映画の喜びも、そこにあるはずだから。人と映画の間に独自の回路を通わせ、現実との関係性を更新していく。そんな作品に、僕は未来を感じる。渡邊桃子監督『私の窓』の素晴らしさは、映画を作ることが、映画を発見することにも繋がっていた。(詳細は作品解説に記す)前畑侑紀監督『楽しい学校生活』は学校の休み時間を一人の生徒の感覚から描いたアニメーションで、人の脳が補正する以前のボヤけた世界を四角いフレームがありのまま受け入れていた。この映画を見ている間だけ理解できるエモーションが、個の内実へと帰結するように描かれていたのだ。菊沢将憲監督『おーい、大石』『二羽の鳥、徹夜祭。』には“現在”という場所を多面的な価値から捉え直す視点が組み込まれていて、僕らが生きている日常感覚を揺らすリアリティの在処を感じさせた。それをSF映画のような回りくどさではなく、知覚の扉を言葉で直接ノックするような近さで描いているのが、とてもよかった。三浦 翔監督『人間のために』は国会前の反戦デモから生まれたフィクションであり、時代を超えていく記録映画でもある。ここに記録されている“違和感”が何を伝えようとしているのか。それを読み解いていくのは、未来の人間なのかもしれない。首藤 凜監督『また一緒に寝ようね』、岩切一空監督『花に嵐』、鈴木竜也監督『バット、フロム、トゥモロー』は大きなスクリーンで出会い直したい。全く勝手な意見だけど、スカラシップを撮らせるなら、この3人の誰かに撮ってほしい。そんな未来を期待させるセンスとパワーが個々に独立した形で漲っていた。メジャー映画のスケールダウンに過ぎない自主映画なんか見たくない。今年のテーマがPUNKなら尚更だ。

片岡真由美(映画ライター)

今年の一次・二次審査を通して思ったのは、立派な作品が増えたということです。ストーリーも俳優も演出も力がこもっていて、劇場公開されても不思議ではない水準。PFFが完成度の高さを競うものであれば、間違いなく入選するはず。ですが、PFFは「新しい才能を発見する」ための映画祭。何をもって「新しい」とするかは難しいところですが、レベルの高い立派な作品群を前に、「よく出来ている。でも、どこが新しいだろう?」と考え込むことが、しばしばありました。乱暴に言えば、よく出来ているがゆえに「新しさ」が見えにくいというジレンマすら、感じました。
今年は、中年女性俳優の活躍を楽しませていただきました。入選から漏れた作品から、順不同で挙げます。『みつめる』(細川直子監督)は、2人の女の子が夏に鳥取に行くお話。彼女たちを家に迎える「かつえさん」=山根勝江さんの面倒見のよさやバイタリティーが素敵でした。『しみじみなさばさば』(伏見優作監督)では、弟の七回忌で海辺の故郷に帰る「さばさん」=橋本亜紀さんの地味めな外見が、作品をより魅力的にしていたと思います。『奇特な幸子』(宮原周平監督)のヒロイン幸子=矢島康美は、のっけからシミだらけの顔アップで登場。「私は誰からも必要とされていない」と呟く、そのいかにも幸薄そうな風情に引き込まれました。『イタズラPlanet』(美館智範監督)のヒロインは、中年ではなく若い女性ですが、ちょっとがさつで、善良で、さっぱりした気性の女性を斎藤加奈子さんがリアリティたっぷりに好演。入選作『食卓』の、創作に目覚める寿美子=信耕ヒロ子さんの不思議な存在感もあっぱれ、ツァイ・ミンリャン作品のルー・イーチンを思い出しました。

木村奈緒(フリーライター)

昨年に引き続き、2度目の参加です。私が拝見した作品群に限って言えば、今年は、原発、地震、デモ、LGBTなどを扱った作品が多いように感じました。自殺や殺人などを描いた作品が多かったのも、抑圧的な社会の空気を反映してでしょうか。映画(のつくり手)もまた、時代の影響を受けることをあらためて感じました。とは言っても、その時代の象徴的な事象を撮せば、そこに時代や人間が映るかは疑問です。たとえば、2015年夏の国会前デモを撮した作品は複数ありましたが、なぜそのシーンが必要なのか、必然性を感じるものはわずかでした。スマホを始め、今や誰もが手軽に動画を撮れる時代に、その映像がいかに映画的説得力を持つのか。時代の撮し手として何を切り取るのか。見落としている事象がないか。あまり良い方向に向かっているとは思えない時代に、わざわざ映画を作るわけですから、そうしたことにもっと意識的・自覚的になってもらえたらと、老婆心ながら思いました。
以下に一次審査不通過・選外ながら、印象に残った作品を順不同で記します。『ノンフィクション』(品田 誠監督)は、音楽や演出が巧妙で、短いながらもスリリングな体験でした。『お姉ちゃんは鯨』(村上由季監督)は、目が覚めるような鮮烈なシーンがいくつかありました。『どろん』(嶺 豪一監督)は、他愛ない日常も映画になることを感じさせる丁寧な小品でした。

小坂井友美(ぴあ中部支局編集担当)

ただただ映画を見まくった2ヶ月あまりを思い出す。
まず感じたのは、時代に見合った表現をすることの難しさ。映画を作るうえで、すでにあらゆる手法が出し尽くされ、それらの情報を手に入れやすくなっている今、意図せず型をなぞってしまう危険性もある。例えば、今年の応募作には時勢的に、原発・安保の問題を扱ったものも多かった。テーマそのものがセンセーショナルに写りやすいため、作品にしやすいテーマでもあったと思う。しかし、どこかステレオタイプな表現に落ち着いてしまっているものが多々あった。表面的な面白さのみに留まらない、自己の表現をどこまでできるのか。それを突き詰めることが出来た人を、やはり選んでいくことになる。
もうひとつ感じたのは、才能を発見することの難しさ。これまでにないものを生み出すということは、時に理解しがたいものとして写る場合も多い。それもそのはず。テクニックが追いついてないなか、これまでの型にないものを生み出すのだから。馬鹿と天才は紙一重とはよく言うが、ただ破綻した物語なのか、天才しか見いだせないバランスがそこにあるのか。原石が簡単に見つけられるものならば苦労はせず、審査員の意見も大いに割れる。自分の価値観とすら戦いながら審議を重ねる、ひどく体力と精神力を使った数ヶ月だった。
その結果がこのノミネート作品たち。これを観た人がどう感じるのか。その感想をぜひ聞きたいと思う。

汐田海平(プロデューサー)

私も小さな規模で映画を作っていて、応募者と近い立ち位置だということもあり、すべての作品に対して可能な限りの誠意を尽くすことを心がけて審査に臨みましたが、同時に「これが映画だ」という説得力、心を動かす強度のある作品を志向する考え方や技術のある作り手に出会いたいという個人的な目論見もありました。まだ見ぬ作家を見落とすものかと意気込むことが、PFFの意義(=才能の発掘)に繋がればと、真剣に画面を見つめる日々でした。
多くの作品を観て感じたのは、映像を作って他人に見せることに作り手が慣れているということです。制作、アップロード、見せるといったフローで映像を扱うことに違和感がない"動画共有ネイティヴ"の作り手は、観客からのリアクションの素早さを皮膚感覚として知っているため、ストーリーテリングにも抜け目がありません。
一方では"慣れ"の弊害なのか、まくらに使う小話のようで物足りなさを感じる作品が多くあったのも事実です。
しかしそんな中で、「よくできた/上手な」といった価値観から逃れ、"映画"と呼ばれるものを懸命に現前させようとしている"映画ネイティヴ"な作品に出会えた時は、絶滅種を見つけたような感動がありました。
特に『ヴァニタス』、『DRILL AND MESSY』、『APOLO』(近藤啓介監督)は傑出し、輝いて見えました。『回転(サイクリング)』、『花に嵐』、『山村てれび氏』、『食卓』、『傀儡』、『リリカルナース??危機一髪!』(平田 健監督)、『向こう側の女の子』(井野郁佳監督)も心に残っています。審査に参加させて頂いて、これらの力強い映画に出会えたことに感謝しています。

杉浦真衣(書店員)

どうしてくれよう、この未練がましさ。審査会議はとうの昔、なのに今なおグズグズと、ああ言えばよかった言うんじゃなかった、フラッシュバックする、あれやこれ。
映画については一家言持つ審査員の面々、その錚々たるメンバーの末席汚し、よもやわたくし一人が正しいなどと、どの面下げて言えるだろう。のはずが窮地に立たされると不遜にも思う。「みんな、分ってないんじゃないの」そこで侃々諤々…となりゃイイが、出てくる言葉はしどろもどろ。そのくせ「でも」と「だって」がしぶとく続く。
往生際の悪さはまだマシ。未婚アラフォー女子映画に見た男女の機微。同じ境遇、同い歳!今こそ出番と熱弁ふるう…つもりが自身の苦い記憶と合重なって、弁論闊達にゆかぬふがいなさ。保身に走り語気は弱々。何たる軟弱。この場を借りて懺悔したい。
自分の正しさ証明するつもりが、逆に己の痛い所を暴かれる事は度々。一方、覚悟を決めて推した作品、議論の末に通らぬ事も往々にして。審査員皆、多かれ少なかれ同様の恥や無念の味を知る。
そして漸くここにお目見えする20作品。どれもこれもが力作ぞろいだ。だが思いを遂げることのなかった我々の執念もまたネットリと、幽霊のように付きまとってる。だからこそ自信をもってお勧めできるというものだ。この20名の強者を、どうかアナタに観てほしい。
最後に、叶わなかった私の偏愛『最後に着る服』(相馬あかり監督)2次通過ならず。この奇才への恋慕、一体どこにぶつけりゃいいのか。

長井 龍(レコード会社社員)

感情を喜怒哀楽の四つで分けるなら、今回いちばん訪れたのは“喜”の感情でした。
たとえばそのひとつは、誰も知らない映画を観られる“喜び”――。それはまだ、映画.comにも載ってなく、五つの白い星すら配られていない新しい映画。完全にフラットな土壌での鑑賞は、物語そのものと純粋に向き合わざるを得ません。いかに日頃、周囲の評判に左右されていたか、身につまされる、健康的な映画体験でした。
その体験の中で、時折、感想が湯水の如く湧き出てくる作品と巡り会うことがあります。その時〈いい映画〉に出逢えた“悦び”を感じたのです!これは最もテンションが上がる瞬間でした!たとえ残忍なシーンや悲痛なシーンを描いていても、凝った演出や、唸る展開と共に繰り広げられると自然と口角が上がり、笑ってしまいました。ひとりニヤつき「いや~すごい!勝ってるよ、この映画!!」と口からこぼれ落ちていました。観客に「この映画、勝ってる」と思わせた映画は勝っていたのだと思います。共犯的に、狙い、射抜かれ、幸せでした。
それはまるで自分が車の助手席に乗りこみドライブをしているような感覚。主人公と一緒に旅ができた“嬉び”がそこにはありました。早々に行き先の地図を渡してくれて、「きっとでここに連れてってくれるんだろうな」と安心し、加速されるも、気づけばふわっと空を飛んでいるような上方の裏切り。快感でした。手のひらで観客を転がしてくれた映画は数少なく、まさに〈いい映画〉でした。
2016年のPFFの作品群にはそんな無数の“喜”が確実にあります。ぜひ、探し、出逢ってください!いつか振り返れば、伝説のラインナップだったと、思うはずです!!

中山雄介(PFFスタッフ)

事務局スタッフになって5年。今回、初めてセレクション・メンバーとして、PFFアワードの作品審査に参加した。【1作品をセレクション・メンバー最低3名が、途中で止めることなく完全に観る】ことがPFFの1次審査のルール。まさにこの「3人目」というのが肝で、他の2人の意見が分かれた時、自分の意見がその作品の行方を左右することもある。分かってはいたつもりだったが、「作品と真摯に向き合う」という責任を身につまされた。そして、自分よりひと回り以上も若い、10代や20代の監督がつくった応募作品を観て、「こんな世界の見方をする人がいるのか」と驚愕すると共に、つくり手への敬意を再認識させられた。
情熱的な意見が飛び交う、審査会議の場で何よりも面白いのは、「観る人によって心が動くポイントが全く異なる」ということ。「これは間違いなく今年のベスト級!」と確信をもった作品が、他の審査員には響いていなかったり、逆にピンとこなかった作品でも、他人の意見を聞くことで、全く新たな見識が広がることもあった。
12時間以上にわたる議論を経て選ばれた入選作品の中には、心に響く作品だけでなく、理解できない作品、怒りを覚える作品もあるかもしれない。それでも、審査員の誰かしらを確実に魅了させ、惹きつける「強烈な何か」を持っている20作品。観客の皆さんには1作品でも多く観ていただき、会場の外でももっと議論してほしい。

原 武史(レンタルビデオ店スタッフ)

PFFの予備審査会議自体が1本の映画になるのではないかと思うほど、今年も新しい才能を発掘しようとする、熱量たっぷりの議論が繰り広げられる。手厳しい意見の出る応募作品にさえも、作り手への愛を感じるこの時間は1分1秒見逃さない100時間超えの鑑賞後の疲労感も吹っ飛ぶほど、何度経験しても、強烈に刺激的な至福の一時。
そんな審査会議を経て入選にガッツポーズを決めた作品は、現代版『家族ゲーム』と称したくなるほど、家族関係からみえてくる人の孤独を独創的に描ききった『食卓』、アナログテレビからみた世界を誠実に、描く様が愛おしい『山村てれび氏』、何とも不思議な映画的色気に満ちていた『バット、フロム、トゥモロー』。
その他では、6分に表現したい事を凝縮させた『Enter the Fiend』(鬼木幸治監督)、夢も希望もない主演二人を独特な描写で魅せる『築かない』、二人乗りバイクで疾走するシーンに心つかまれた『マスタードガス・バタフライ』(廣瀬有紀監督)に興奮させられました。
今年も、映画愛に溢れたPFF審査に参加させて頂き、幸せでした。ありがとうございます。

前田実香(映画館スタッフ)

与えられる事前情報が、タイトルと監督名のみの一次審査。ストーリーや解説はもちろん、制作者の肩書きや、ご経験などの情報は一切ありません(二次審査からはそれらを得られます)。そんな、映っているものが全てという状態で臨んだ応募作品の数々。大半が自主映画と思えないほど、画質が良く、編集技術も高いものばかりで、ストレスなく見ることができました。つまり、一見どの作品もクオリティに遜色なし。だからこそ、どれも同じように感じてしまうのも正直なところ…。それでも、画面の中で繰り広げられる展開に驚かされ、ドラマに目が釘付けになり、時に涙し、「これは何としても入選させたい!」と心震える作品との出会いは、かけがえのないものです。作品そのもので勝負するこの審査方法は、素晴らしいと思います。
今回の入選作品においては、見る人を楽しませよう、驚かせようという、“観せる”ことに真摯に取り組まれているものが多いのではと思います。また、丁寧な取材が素晴らしく、思わず涙した『福島桜紀行』、『少年飛行兵の笑顔』(柴田夏未監督)も印象的でした。
審査は2度目になりますが、白熱した会議を経て今年もまた、自主映画が人に与える感動の多様性を再認識した4ヶ月でした。すべての作品の裏側には、監督、スタッフはじめ皆さんの、作品以上に様々なドラマが繰り広げられているのだろうと、その努力と情熱に思いを馳せ、敬意を表します。

皆川ちか(ライター)

2011年度から予備審査に参加をさせていただいて、今回で6回目となります。
毎年毎回、応募作品を鑑賞することで自分自身の身が引き締まり、姿勢が正される思いがします。仕事ではなく、義務ではなく、お金が発生することもなく、ただ作りたいから、伝えたいからという衝動のもとに生み出される“もの”からは、比喩ではなく、叫びが聞こえてくるのです。私はここにいます、という叫びが。
その叫びを聞きたい。心がゆさぶられたい。打ちのめされたい。
審査をするということは、判断をするのではなく、対象を正しく見ること、聞くこと、気づくことなのだと、分かってきたような気がします。
入選には至りませんでしたが、すごいなあ……と感じた作品が3本ありました。『僕が君の手足になるよ』(yamagon監督)は、“愛”と“献身”が綯い合わさった登場人物たちの関係性が刺さりました。『恋はフェリーに乗って』(高野 徹監督)は、恋することの寿ぎと愛し合うことの困難が、軽やか、かつ成熟した目線で描かれていて、実に感じ入りました。本年度の鑑賞作品の中で、最も衝撃を受けた『ちょっとだけ嫌いになった』(成良恭平監督)は、「この手があったか…」としか言いようがありません。LINE(ライン)映画という新ジャンルが生まれた瞬間に立ち会っただけでなく、物語それ自体の緊張感が突出(スマホと手しか出てこないのに!)していました。
また、作品における題名は大問題であることに、今回、改めて気がつきました。ありがとうございます。

森重裕喬(「Cinema tocoro」メンバー)

初めての審査にあたって決めたのは、映画の表現を信じきって作られた作品を見つけることだった。何を、よりもどうやって描くかで闘った結果、悠長に構えた観客が思いがけず作者の感情に触れてしまうような作品だ。
身の回りでは、言葉や文字が唯一の方法かのように多くが交わされている。しかし映画には、言葉ではないからこそ飛び越えられる壁を越え、それぞれまったく違う観客個々人の圧倒的な現実に到る力がある。今この時、作家個人の感情を開放して、狭まりゆく世界を広げる大変な機会が鬱蒼としている。
一筋縄ではいかない仕事だが、カメラの位置、音量、役者の目線など、山のように鍵はある。決してわかりやすい作品でなくてもいい。親しい友達に話しかけるようにではなく、言葉も通じない誰かが驚きながら抱え込んでしまうような、そんな映画を見つけたい一心で審査に臨んだ。
PFFアワードは可能性を見つけるためにある。自分自身の追いつかない資質を必死に燃やして、かなり迷走しながら嬉しくも光を見つけた。入選作品で言うと、『楽しい学校生活』、『シジフォスの地獄』、『回転(サイクリング)』、『花に嵐』である。入選はしなかったが、『私の彼氏、だった人』(藤木裕介監督)、『僕もあの子も』(松本花奈監督)、『自然と兆候/4つの詩から』(岩崎孝正監督)を撮った監督の今後も気になる。
それにしても、見込んだ作品を言葉にして伝えるのが、こんなにも難しいとは!審査を経て、悔しさのあまり、映画に溺れたい…とさらに強く思った。心から、声をかけていただいたスタッフの皆さんに感謝をしたい。

結城秀勇(ライター・映写技師)

個人的にここ数年の間で、「これはおもしろい」と確信できる作品の割合がもっとも高かった年でした。とりわけ二次審査に残った作品中の十数本は、この中からどれが選ばれても納得できるようなクオリティでした。例えば入選作である『傀儡』や惜しくも入選作には選ばれなかった『APOLO』などといった作品は、単なるおもしろいアイディアやきれいなルックという程度のレベルではなく、長編映画としての骨格がしっかりした良作で、そのまま劇場公開されたとしてもおかしくないものだと思いました。
と同時に、こうした作品を強く支持したい気持ちの一方で、それならこの映画祭という場でそうした作品を紹介することの意味とはなんだろうかとも考えてしまいます。もっと一般公開の規格からはみだすような作品を救い上げるべきなのか。あるいは逆に短編中編よりもはるかに構成の難度が高い長編作品を優遇すべきか。作品の上映時間を問わずに並列に扱うという珍しい形態のこの映画祭においてならではのことであり、正直現時点ではよくわかりません。
いずれにしても今回の審査を通じて再確認したのは、言わずもがなですが、映画の面白さとその巧拙とはさして関係がないということです。ただ表面的な巧拙(技術的な、あるいは商業性としての)の奥に、その作品が持つ固有のリズムやストラクチュアのようなものがあり、そこにこそ監督が映画とはこういうものだと考えるものが現れるのではないかと思います。そこがしっかりした作品を強く推したいと思いますし、一言で言って才能なんてそこにしかないと思います。ただそれは、あまりに明白すぎてあまりに根本的すぎて、よく見えないこともあるのですが。

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