PFFアワードについて

審査講評

【最終審査】

2015年9月24日(木)の「PFFアワード2015表彰式」にて、最終審査員5名およびパートナーズ各社より述べられた、各受賞作へのコメントをご紹介します。

※敬称略

グランプリ

【受賞作品】

『あるみち』監督:杉本大地

【プレゼンター】

最終審査員:阿部和重(小説家)

「作り手にとっての手本となるような既存作に似せるというところに留まっている候補作が多い中で、この作品だけは杉本監督からしか出てこないものが画面上から多く伝わってきました。現場を統率して、おそらく素人であろう役者のそれぞれの芝居をまとめ、映像として構成する力が素晴らしい。またカメラの存在を感じさせず、劇中にショットが馴染んでいましたが、同時に決め所になる効果的なショットも逃さない点も評価に値します。総合的にみて、この監督はずっと撮り続けていける監督だと思いました」

[副賞:賞金100万円]

準グランプリ

【受賞作品】

『ムーンライトハネムーン』監督:冨永太郎

【プレゼンター】

最終審査員:熊切和嘉(映画監督)

「18年前に逆の立場でPFFの受賞式に立たせて頂き、僕の映画人生はそこから始まったと思っていますので、今回はとても感慨深く作品を拝見しました。ほんとうにこの作品は大好きでした。見ている間中、可笑しくて、可笑しくて、でもそれだけではなく、現代の地方都市に生きる若者を鋭く抉ったところが評価されたと思います。僕もこの作品のファンになりました。逆にありがとうと言いたいです」

[副賞:賞金20万円]

審査員特別賞

【受賞作品】

『嘘と汚れ』監督:猪狩裕子

【プレゼンター】

最終審査員:奥田瑛二(俳優・映画監督)

「こちらの女性監督。映画を観まして頑固だろうなぁ思いました。その頑固さの中に映画監督としての志と将来がビシビシと伝わって来ました。時としていい意味の苦しいため息が出る作品でしたが、見終わった後に「いいなぁ」と思いました。猪狩監督がこれからどうやって映画に立ち向かっていくのか、どれだけ命がけで映画をやっていくのか僕は楽しみです」

[副賞:賞金10万円]

【受賞作品】

『ゴロン、バタン、キュー』監督:山元 環

【プレゼンター】

最終審査員:西村義明(プロデューサー)

「映画を今まさに作り続けている人間たちが、誰かの制作した作品に順位をつけるというのは、大変難しい作業です。その中、『ゴロン、バタン、キュー』はとても好きな作品でした。映画は時代や社会とともにあり、社会は生活が作ります。釜ヶ崎で暮らすホームレスの生活の実地を調べ、それを映画に仕上げた。技巧や技術は経験で身に付くこともあるでしょうが、映画を作る上での視点、こういうものを描きたい!という強烈な想いを持てることも、得難いひとつの才能です。山元監督の次回作に期待します」

[副賞:賞金10万円]

【受賞作品】

『わたしはアーティスト』監督:藪下雷太

【プレゼンター】

最終審査員:大友啓史(映画監督)

「とてもユニークで魅力的な冒頭シーンから始まり、自意識という難しいテーマを、手を変え品を変え巧みに表現していたと思います。また作品として面白いだけではなく、すごくとんがっていて、切り取る一枚一枚の画も絶妙でした。俳優の演技がナチュラルで、自分の内面と向き合う若い女性の自意識をエンターテインメント性高く伝えていたと思います」

※大友監督が登壇予定でしたが、急な海外渡航によりビデオでの授与コメントに。代打プレゼンターは奥田瑛二さん。

[副賞:賞金10万円]

エンタテインメント賞(ホリプロ賞)

【受賞作品】

『したさきのさき』監督:中山剛平

【プレゼンター】

株式会社ホリプロ代表取締役社長 堀 義貴

「いつも変わった作品を選ぼうと思い、他の賞と被ると悔しいのですが…それだけ面白い作品でした。とにかく気持ち悪くてもいいから、バカバカしいことを一生懸命にお客さんを信じてやっているところが共感を得たのではないかと思います」

[副賞:AMAZON商品券]

ジェムストーン賞(日活賞)

【受賞作品】

『したさきのさき』監督:中山剛平

【プレゼンター】

日活株式会社代表取締役社長 佐藤直樹

「監督は変態でもいいんです!その表現の手法の幅は多彩であるべきですし、映画は多様性が担保されなければいけないと思います。ドキドキさせてお客様がお支払いいただいた以上に楽しんでもらえれば、きっとそれはいい映画だと思い選ばせていただきました」

[副賞:旅行券]

映画ファン賞(ぴあ映画生活賞)

【受賞作品】

『したさきのさき』監督:中山剛平

【プレゼンター】

ぴあ株式会社 ぴあ映画生活編集長 阿草弓子
一般審査員:佐藤瑛大、原 知亜紀、深町美音子、山田明仁

「映画館でひとりじっくりとこの作品のドキドキ感をあじわいたい、また「変態青春映画」と呼ぶに相応しい映画だったと思います。全体的にバランスが良く、レベルが高い作品だったので、自主映画を知らない友人にも薦めたい一本です」

[副賞:帝国ホテル宿泊券]

観客賞

【受賞作品】

『いさなとり』監督:藤川史人

【プレゼンター】

東京都近代美術館フィルムセンター主幹 岡島尚志

「世界中でかつてもっとも泣かせ、もっとも笑わせ、もっとも感動させた監督のひとりであるフランク・キャプラは次のように言っています。「わたしはかつて間違っていた。役者が泣くのがドラマだと思っていた。実は違う。観客が泣くのがドラマだ。」わたしは、この『いさなとり』を見て、観客に感動を与えていると思いました」

[特別設置] 日本映画ペンクラブ賞

【受賞作品】

『いさなとり』監督:藤川史人

【プレゼンター】

日本映画ペンクラブ審査員 渡辺祥子、まつかわゆま、松崎建夫

「この作品には、愛情があると思います。「他者に対する愛情」、「場所に対する愛情」、「生きるということに対する愛情」を持っている作品だと思いました。次なる作品を期待しています」

[副賞:MIKIMOTO銀時計+岩波ホールロードショー招待券]

【最終審査員による審査講評】

「PFFアワード2015表彰式」の最後に、最終審査員の方々に審査を振り返っていただきました。

奥田瑛二(俳優・映画監督)

普段365日酒を飲むのですが、1日だけ飲まない日がありました。それがこのアワード作品を審査した日です。腹が立ち、夢中になり、「バカ野郎!」、「凄いじゃないか!」という感情が出てきて、1本1本どんなにつまらないものでもエンドロールの最後までみる、そうして時間はあっという間に過ぎていきました。私はダメなものはダメとはっきり言いますが、とにかくつくり続けてください。撮り続ける、考え続ける、脚本を書き続ける、そうすると見えてくるものがたくさんあります。映画監督は死ぬまでできます。チャレンジするとか、頑張るのではなく、めげないで、命がけで、冒険心を持って、映画をつくってください。映画は責任のあるものです。責任を胸に撮り続けてください。期待しています。

※大友監督は、急な海外渡航によりビデオでのコメントになりました。

大友啓史(俳優・映画監督)

学生時代からPFFは毎年楽しみにしていたイベントで、今回の20作品もとても楽しく拝見しました。「きっと自分ひとりだけだろうなあ、この作品を推すのは」と思っていた『ムーンライトハネムーン』。地方に生きる新鮮な青春像が決して表層的ではなく、地に足の着いた独特の雰囲気と切り口で描かれた作品で、「これを見過ごすことはできない」と、審査員同士で議論して準グランプリとして認めることができて幸せでした。参加した皆さんひとりひとりには、今後も映画をつくり続けて欲しいと思います。作品をつくるということは自分の内面をみつめていく作業から始まります。でもどこかのタイミングで、自分の世界から殻を破って外に出るタイミング、社会の様々なことと衝突し、価値観をぶつけ合うことが要求されるときが来るのだと思います。そこに辿り着くまでとにかく映画を撮り続けて、また魅力的なワクワクする作品をみせてください。

阿部和重(小説家)

全体的に技術的水準が高くなっている印象を受けました。ただしそれは、デジタル化の普及による自然な成り行きにすぎないとも思います。PFFアワードとは自主制作映画を競い合うことなので、まず自主制作であるとはどういうことなのかを考えながら皆さんつくっているとは思います。しかし、それを具体的にどう作品に反映させるか。そういう意味では『ゴロン、バタン、キュー』が自主制作でなければやりにくい題材を扱っているという点は評価すべきところでした。今回の20作品は、長編と短編があり基準を立てることは難しく、受賞作が必ずしも受賞しなかった作品よりも全面的に優れているとは限りません。たとえば『幽霊アイドルこはる』は、映画としては雑に見えますが、物語上のアイデアは画期的でした。それは作り手自身が作品のテーマについてしっかり考え抜いたからこそ生まれた独自性だと思います。

熊切和嘉(映画監督)

今回20作品を拝見しまして、まずはバラエティの豊かさに驚きました。どこを基準に選んで良いのか戸惑うような感じでしたが、その中でも『あるみち』は鮮度の高さがずば抜けていたと思います。映画が生きていたと思います。しかし、他にも心動かされる作品はたくさんありました。今回受賞に至らなかった方もめげずに、今後もメリメリ映画を撮っていってください。この先、映画を撮っていくには色々と大変なことがあると思います。僕も昨年まで家賃を滞納していたりとか、そういう世界ではありますが、それでも生き延びて行く、映画を撮るしかないんだ、と腹を括れている人が、生き残れていると思うので、どうかこれからも映画をどんどん撮り続けてください。

西村義明(プロデューサー)

映画をつくるって大変ですよね。アニメーション映画も、脚本を作り、絵コンテを作り、実制作に1年から1年半をかけます。自分たちだけではなく仲間も含めて、合計すれば2年あるいは3年、映画人人生でいうと、その10分の1から15分の1をかけて、1本の映画を作ります。その1本が「何かであって欲しい」という望みをかけて作ります。何かであって欲しいというのは、おそらく映画の場合、「誰かに何かを伝えたい」とか「何かを変えたい」とか、そういうことだろうと思っています。若いときには、自分自身の為に自分が作りたいものを作る、ということが大きな衝動になるかもしれませんが、作り続けていくと、「この人に見てもらいたい」「この人たちを助けたい」という、映画をつくる上での「視点」が必ず生まれてくるはずです。皆さん、変わらぬ情熱を持って、これからも映画を作っていってください。

【一次・二次審査】

PFFアワード2015の入選20作品は、応募作品577本から、PFFディレクターの荒木と15名のセレクション・メンバーが選びました。まず1作につき3名が鑑賞し、審査会議で意見を交わし、2次審査に残った作品を16名全員が鑑賞。4か月にわたる審査を、メンバーそれぞれに振り返ってもらいました。

※セレクション・メンバー名の50音順で掲載しています。

小原 治(映画館スタッフ)

「責務」と「提案」
セレクションメンバーに課せられた責務は「一分一秒見逃さない」こと。それは手段であり、目的ではない。「未来の才能を見逃さない」こと。これが真の目的だ。今はまだ何者でもない監督の作品を審査する際、「分からない=ダメ」で作品を片付けてはならない。新たな才能は未知の領域からやって来るのだから。故に可能性を感じさせる作品ほど、その魅力を言葉に置き換えるのは難しい。無数にある言葉を選び取りながら、未来を呼び込んでいくこと。そんなヴィジョンを引き出してくれるのは他ならぬ作品の力だ。映画が誕生してたかが100年。これからも変わっていくことと、それでも変わらないこととの関係性の中に、映画は展開されていく。映画を「今」つくる価値がそこにある。同時にPFFの審査の在り方もベストの方法を追求しながら変わっていくのだろう。そんな未来を荒木ディレクターはじめ運営スタッフの気概には感じる。そこで僕からのささやかな提案がある。自分が見ていいと思った作品に「コメント」を送るだけでなく、自分が見てよくないと思った作品にも「その理由」を応募者に伝えることを、審査員全員の責務にしてはどうだろう?結果的に応募作全てに何かしらの感想が届くことになり、それを書いた審査員は恨みを買う場合も多々あるけど(因果な役割だと割り切って僕はそれをやっている)、その一言が未来を呼び込むきっかけになる場合だってあるかもしれない。自分の作った映画を人に見せている時点で既に何かは起きているのだから。その動きを止めないためにも。

片岡真由美(映画ライター)

今年は魅力的な出演者たちにたくさん出会えました!
入選作『THE ESCAPE』主演の松岡眞吾さんは、『無傷の日々』(布瀬雄規監督)の主演でも光っていました。『無償の日々』で松岡さんの心優しい弟役を好演した大橋典之さんは、入選作『したさきのさき』では正反対の役どころを好演しています。入選作『わたしはアーティスト』で高校生を演じた高根沢光さんは、『マネーのトラッシュ』(中島邦彦)でティッシュペーパー配りの男を演じて、こちらでも光っていました。
集団自殺をテーマにしたブラック・コメディ『業ト縁』(三ツ井春伸監督)で寡黙な男を演じた東谷英人さん。幼馴染に再会してアイデンティティーがぐらつく男子学生を描いた『鏡』(八木優太監督)主演の山下敢示さん。年上の女性と恋に落ちる少年を描いた『うつろう』(久保裕章監督)主演の大内陸さん。
また、出演者たちのアンサンブルが見事だったのが、『ぼくらのさいご』(石橋夕帆監督)、『COUNSELING』(林 霊監督)、『名倉チームが解散する日』(田口啓太監督)、『性を泳ぐ、魚』(秋山祥吾監督)、『雨時々晴れ』(李 允石監督)、『次男と次女の物語』(深津智男監督)、『Tropical』(芳賀陽平監督)、『羊は楽園を探す』(河合 健監督)、小学生男子の冒険を描いた『解放』(相馬寿樹監督)。
近年、自主映画作品に積極的に出演するプロの俳優が増えたことも一因でしょうし、監督たちの演出力のたまものとも言えます。新しい監督たちとの出会いとともに、素敵な俳優たちと出会えることも、予備審査の大きなワクワクだと、今年は特に思ったのでした。

木下雄介(映画監督)

光る映画になりうるのは何かと問い続けた今年の審査だった。
誰もが自主映画をつくれる時代にはなったが、つくる前の段階で何かしら制約やら目的やらがついてまわるのかもしれない。否が応にも耳に入る他人の言葉や後頭部に漂う空気を感じ過ぎて(その察知能力で吸収し、腹の奥底深くまで潜り込んで自分と対峙できれば、世界を独自の視点で切り取る特別な才能になりうるのに!)まとまり良くおさめた映画が今年は本当に多かったように思う。小さな共感を求めて置きにいくのではなく想像力でどこまで踏み込んで飛べるか、もっと過激にわがままに図々しく挑んでほしい。今自分が縛られている枠を自覚しながら揺さぶりをかけて飛び越えてほしい。
つくり手の真摯な勢いは画面からにじみ出てくる。表現したい初期衝動を何としても体現しようとしたか。手にしたカメラを構える前に自分はどのように対象に向かい合っているか。一緒につくる仲間とぶつかってでもやりたいことを伝えたか。入選こそ逃したものの、引き籠りの友人を連れ出して撮るという行為の逞しい可能性を提示した『奴物語1出発』(榎園京介監督)、人間のどろどろに打ち克つ為監督自ら渾身のバットをぶん回す『雲の屑』(中村祐太郎監督)、映画の完成度とはまた別に、その時その人にしかつくりえない映画こそが特別なものなのだと信じている。

木村奈緒(フリーライター)

審査を振り返って何か書かねばと思うのですが、全然筆が進みません。自分の審査を振り返ると反省だらけで、頭を抱え込んでしまうからです。本当に一分一秒逃さずに、一片のかけらもこぼさずに作品を見たか。なぜその作品を推すのか・推さないのか言葉を尽くしたか…どの問いにも胸を張ってイエスと答えられない自分がいます。私からぼんやりした感想が届いた監督、ごめんなさい。この場を借りて謝ります。
でも、自分がダメセレクション・メンバーであると気づけたのは、周りのメンバーの方々が素晴らしかったからに他なりません。審査会で言葉を尽くす方々を目の当たりにし、皆さんの映画への情熱、まだ見ぬ才能への期待をひしひしと感じました。今どき、これほど愛にあふれた誠実で愚直な審査は珍しいのではないでしょうか。PFFアワードほど「作品と向き合う」ことを徹底している審査はそうないでしょう。監督の皆さまにおかれましては、こんなに貴重な場を活かさない手はないと思います。
選外・一次審査不通過ながら、惹かれた作品を記します。『彦とベガ』(谷口未央監督)、『かたづけ』(永谷優治監督)、『羊は楽園を探す』(河合 健監督)、『プレイジャリズム』(三重野広帆監督)、『夢見るバク』(神宮寺 健監督)、『バックグラウンド』(田中慎太郎監督)、『愛しのレッドモンスター様』(名嘉真崇介監督)、『独白座』(瀬川哲朗監督)、『復活』(渡邊 聡監督)。以上順不同。

小坂井友美(ぴあ中部支局編集担当)

“何をもって良しとするのか”。それは、寝る間も惜しんで作品を観続けている中、ずっと考えていたことでした。「新しい才能の発見と育成」を掲げるPFFであれば、予想もつかない作品なのか、それとも完成度なのか。しかし、そんなことを考える瞬間もないほど夢中になる作品への出会いがあるのです。例えば、シニカルな笑いのセンスに劇場映画かと疑うほどの完成度だった『わたしはアーティスト』。例えば、荒削りながら、あまりに青い感情に何度も一時停止ボタンを押したくなるほど衝撃的な『したさきのさき』。…結局、意外性や完成度のみでは良し悪しは決められないと、自分の価値観と向き合う日々でした。PFFに過去入選したある人気監督は、自主映画のことを「完全なる自由な表現」と語ったそうです。自主映画ぐらいは、誰かの目を気にした作品ではなく、自由な発想で作ってほしい。そこで表現される個性は、日々大量に生まれる作品のなかで、埋もれることのない鍵になるはずです。最終的に私が選んだ基準も、その個性に触れ、心を動かされたか、でした。最後に、今後も忘れないでほしいことがあります。“表現”とは他者が存在して初めて表現たりえます。自らの表現を守りつつも、常にスクリーンの前の誰かを意識していてほしい。そうすれば、その“誰か”はきっと今後増えていくはずです。今回応募してくれた監督たちのそんな先を観てみたい。そう期待しないでいられない数ヵ月間でした。

小林でび(映画監督・役者)

今年の入選作でドキドキしたのは『海辺の暮らし』、『みんな蒸してやる』、『ひとつのバガテル』、『したさきのさき』、『ムーンライトハネムーン』など。現代人特有の感情が生々しく描かれていてホント面白かった。
そう、今年の審査で僕が一番気になったこと、というか気になってしかたがなかったことは、その映画が「2015年の人間を描いているかどうか?」でした。それは今年の応募作品に70年代や80年代っぽい人間を描いている作品が多かったからなんですが…え~なんで?まだ生まれる前とかの時代だよね?…それは彼ら監督たちが学校とかで「映画を学んで、過去の映画をなぞってしまっている。まねている」からなのでしょうか。どこかで見たシーン、どこかで見た人物、どこかで見た心理描写…どれも過去の映画のものです。映画はいつから過去を描くメディアになってしまったのでしょうか?もっと現在を描きましょうよ、もしくは未来を。「いまを生きる自分たち自身の問題」に向かい合わずして、お客に切実に訴えかける映画が出来上がるわけがないではないですか!
映画製作の技術はもうビックリするぐらいレベルが高くなっています。なのに内容が古臭いだなんてホントつまらないじゃないですか!もっと正直に!もっと切実に!まさに今のインディーズ映画が観たいのです。

杉浦真衣(書店員)

PFFの場合、どのような観点からその監督の可能性を測るかという基準は、各審査員によって異なる。だからこそ会議は度々紛糾するし、ザワザワと荒れてこそ楽しいものである、自主映画の祭典は。
私の場合はといえば、特に「独自性」を重視した。それも、いつの日か映画史に名を残すのではないかという程に斬新な独自性!ただ、そうした類の突拍子のない個性というのは、完全な的違いである可能性を多分に含んでいるのが常である。従って、審査員としてそれを推すとなると、これはもう一つの賭けに等しく、私自身もまた危険に晒されることとなる。それでも、煌めく非常識さを少しでも感じさせる作品にもし出会ったなら、その時は全力で推さねばと覚悟を決める。
そういう意味で『PAKKKKKKKIS』(相馬あかり監督)は衝撃的だった。稀有なまでに黒い怒りが沈澱していた。会議の日、私は恐る恐るイチオシ作品として挙げたが、案の定、非常に不利な形勢。「許せない」と怒る者さえ何人かあった。長き議論の末、結局入選作からは漏れてしまった。正直に言えば、その結果に安堵している自分もいる。それ位、非常に不安にさせられたし、私には測りしれない何かがあった。次回作に期待したい。
その他個人的に愛した作品→『奴物語1出発』(榎園京介監督)、『ポケットの中の流星』(松井一馬監督)、『バーガス・チャン』(東 義真監督)、『岸辺の部屋』(小辻陽平監督)、『君に捧げるラブソング』(田中 彗監督)

常川拓也(映画ライター)

およそ3ヶ月の間、応募された自主映画約170作品を鑑賞し続ける日々は、想像をはるかに超える大変な経験でした。まだ誰も知らぬ良作に出会えた時の喜びを感じることもあれば、数多くの様々な作品を観ている内に、「何が面白いのか」「面白い映画とは何なんだろう」とわからなくなってくるような感覚すら覚えることもありました。どのような内容なのか、どういった人が作ったのかなどを事前に全く知らない、すべての作品に対して完全にフラットな状態で向き合う行為は、とりわけインターネットやSNSが広く普及した現代社会で育った私にとって、実は稀有ものだったと実感しています。誰もまだ評価を下していない作品を観て、誰か他の人の評価に頼ることなく、それが面白いかどうかをひとり思考する経験は、得難いものであると同時に、私にとって自分自身の映画観を改めて問い直すものでもあったのだと思います。今回の予備審査を通して私が特に感じたことは、人物に対して漫画やアニメ的な演出が見受けられる作品や、就活や学校内いじめなどをテーマにしたどこか生真面目な作品が多いこと、そしてハッピーエンドを何か意図的に避けているような傾向が目立つことでした。先の見えない将来への不安なのか、閉塞感やヘイト感情が全体に蔓延しているのか、あるいはきな臭い風潮からなのか、何かそういう暗い気持ちが作り手の間にあるような気がしてなりませんでした。あまりにも現実に悲観的な作品が支配的だからこそ、友人たちと楽しんで作り上げたような『あるみち』の伸び伸びした健やかさは格別で、そのナチュラルさと親近感に魅了されました。ユニークな設定で現在の日本を照射し最も興奮させられた『甘党革命 特定甘味規正法』、罪悪感がのしかかるひとりの少女の背中から苦しい息づかいが手に取るようにわかる『嘘と汚れ』、オリジナリティ溢れるセンスとユーモアと力強さを兼ね備えた『みんな蒸してやる』との出会いも忘れ難く、ほか『明日に向かって逃げろ』(辻野正樹監督)、『きらわないでよ』(加藤大志監督)、『密かな吐息』(村田 唯監督)、『静寂、とりとめもなく。』(香月 綾監督)などの作品も印象深いです。私のような尻の青い者が予備審査員を務めさせていただくことは身に余る光栄なことで、自分の未熟さも強く思い知りましたが、ほかの審査員の方々とともに様々な映画について寛大な感情で議論できたことは本当に刺激に満ちた素晴らしい経験でした。ありがとうございました。

原 武史(レンタルビデオ店スタッフ)

つくり手の想いが作品に詰まっているか、
そしてその想いが観る者に届いているか、
この二つのバランスがとれている才気溢れる作品を見逃すまいと、
作品によっては何度も繰り返し、地道に観させて頂きました。
審査期間の約4ヶ月、応募作品にひたすら向かい合う日々は、体力的にも精神的にも消耗しましたが
レンタル店の棚にそのまま陳列してしまおうかと思う程の力作を発見した瞬間は、今年も至極の喜びでした。
審査させて頂き、印象に残った作品は下記になります。

観る者を常に意識したつくり手の映像・音への執着心が凄まじい『THE ESCAPE』(島村拓也監督)
重厚でありながら軽妙で独創的な仕掛けが冴えわたる『帰ってきた珈琲隊長』(佐々木健太監督)
絶妙な間合いとセンス溢れる一言一言の台詞にひたすら笑った『海辺の暮らし』(加藤正顕監督)
方言を話す様が愛おしい主人公の女の子と8ミリカメラを持ったおじさんの心が通い合う様を自然に描いた『あの残像を求めて』(隈元博樹監督)

自分の意志で、自分と向き合い、自分の映画をつくりあげた皆様の熱量が一人でも多くの方に届く事を願っております。

廣原 暁(映画監督)

審査会に参加させていただいたのは2回目ですが、今年も感動的な作品との出会いがいくつもありました。特に、『チュンゲリア』、『帰って来た珈琲隊長』には、映画にこんな事ができるのかという、新鮮な驚きが詰まっていると同時に、そのチャレンジ精神に深い感動を覚えました。一方で、入選には至らなかった、『マネーのトラッシュ』(中島邦彦監督)、『うつろう』(久保裕章監督)、『雲の屑』(中村祐太郎監督)という映画たち。これらの作品は、どれも素晴らしい完成度に達していて、ぶれる事のない強い意志を感じ、見ている間、審査していることを忘れてしまうほどでした。入選した作品と、そうでない作品とで優劣をつけるのは、まったく間違った考えだと思います。できることなら、ここに挙げた作品もお客さんに見てもらいたい。そうした時に初めて、なぜ今年のPFFではこの20作品が選ばれたのかということが、理解できると思います。
「『映画』という言葉が指す内容そのものを、書き替えていかなきゃ駄目なんですよ」
審査会である人が発言した感動的な言葉です。この言葉を聞いた時に、僕自身の映画に対する価値観も、大きく揺れました。そういった意味でも、今年のPFFのラインナップはかなり挑発的です。全ての作品を見た時には、何かPFFの巨大な陰謀みたいなものを感じるかもしれません。監督もお客さんもぜひ、自分の中の映画が書き替えられる不安と快感を味わい、この巨大な陰謀に巻き込まれて欲しいと思います。

細川朋子(パブリシスト)

10年ぶりに関わらせていただいた予備審査は、日常使っていない脳の一部のアンチエイジングを体験したような数ヶ月間でした。
情報ゼロの状態で鑑賞、画面に映っているものが全て。原作もので溢れている商業映画とは真逆のオリジナルで勝負している自主映画だからこそ受けた刺激がたくさんありました。生っぽい表現は私たちの身近なこととしてリアルに映ることもあれば、斬新な企画で未知の世界を知ったり、「あれはどういうことを意味しているのか」と想像力をかき立てられたり。
自分の中での審査基準としては、荒削りだとか技術力という事はあまり注力せずに、描かれているものが誰かの心情を動かすようなエネルギーを持つ作品か。何かに特出して拘りを貫き描いているか、を重要視しました。
言葉で伝わらないことを映像で見せるというのは、ほんの小さな表情や表現から伝わってくるものこそが大事で、これが人の心を揺さぶる大きな原動力に変わるものではないか、と確信した瞬間がいくつかありました。
順不同ですが『サヨナラノアト』(緒方一智監督)、『きらわないでよ』(加藤大志監督)、『THE ESCAPE』、『みんな蒸してやる』、『嘘と汚れ』、『異同識別』、『わたしはアーティスト』どれも唯一無二の出会いでした。

前田実香(映画館スタッフ)

「1分1秒もらさずに見る」ことをルールに始まった予備審査。見ていて、椅子から転げ落ちるような衝撃と感動に出会いたい一心で、100時間を越える、尺もジャンルも様々な応募作と、ひたすら格闘しました。
それは自分との戦いでした。当たり前ですが「推さない」と判断することはすごく難しい。“なぜ”なのか、“どこが”なのか、果ては“どうであれば”推そうと思ったか。それは独りよがりな判断に陥っていないか、作品ひとつひとつ、ひたすら自問自答を繰り返します。
それは「推す」も同様です。いや、「推す」ほうこそ難しいと思ったのは、審査会議を経験してからです。心を動かされた作品が、他の審査員にとっては異なる意見だった時、今までの価値観を否定されたようで、かなり打ちのめされます。しかし、負けてはいられません。まるでその作品の唯一の理解者であるかのように、背負い、必死で立ち向かいます。ただ、相手も前述のように、確固たる意思と理由を持って立ちはだかるわけですから、一筋縄ではいきません。
映画とは見る人によって、こうも捉えられ方が違うとは!改めて驚きと衝撃の連続でした。1作品を3名以上で鑑賞するルールは、ここに活きていると身を以て知りました。自主制作に励んだころ、「映画は上映して(鑑賞者を得て)こそ完成する」と言われたことを思い出しました。
そんな価値観のぶつかりあいの末、入選に至った作品はさらに多くの方のもとへ届きます。みなさんがどう感じるか、今からわくわくします。
最後に、鑑賞させていただいたすべての応募作において、監督のみならず、たくさんのスタッフが関わって完成されたことの努力と情熱に、敬意を表します。充実した日々を、ありがとうございました。

松瀬理恵(イベントディレクター)

今回初めて予備審査に参加させて頂きました。時間さえあれば、一分一秒見逃すことのないよう作品を観続け、頭の中で常に自分と作品たちとが対話し続けるという、これまでに経験したことのない苦しくも幸せな4か月間でした。
審査を進めていく中で感じたことは、映画制作に関する内容やいじめやニート、家族間の問題など、身近な出来事やこれまでもテーマとして多く取り上げられてきた題材の作品が多いということ。当たり前のことですが、経験したことや知っていることの中からしか作品は生まれてこないということです。
今回の応募作品の中で、逆に斬新さを感じた作品を一部ですが挙げさせて頂きます。『みんな蒸してやる』、『そこどいて』(大橋咲歩監督)、『海辺の暮らし』。
そして、この経験や知識の話は、映画制作に関してだけでなく、私を含めたすべての人に関しても言えることだと思います。実際、私は今回の審査を通じて、自分の経験や知識の幅の狭さを痛感することになりました。痛感していてもしょうがないので、できることから取り組み、今も続けています。
どれだけ多くのことを経験してきたか、観察してきたか、想像できるかで、できることはきっとどんどん変わってくると思います。
今回応募してくださったみなさんの作品が、より多くの方々に触れられ、そして、みなさんの今後の作品を拝見できる日を、今からとても楽しみにしています。

皆川ちか(ライター)

2011年以来、予備審査に携わって今回で5回目となります。
「なぜこの作品を推すのか。推さなければいけないのか」という理由が、毎回、毎年、ころころと変わり、その一貫性のなさ、自分の心の不確かさに我ながら驚いてしまいます。
今回の推し理由は、「物語から、登場人物から、性(すなわちエロス)があふれているか否か?」でした。美しさとおぞましさ、優しさと残酷さ、快と不快、生と死。さまざまに対極的なこと・もの、つまりとても人間的な映画を見たい、知りたい、ふれたい、打ちのめされたい――審査を通して毎回、毎年、自分自身の奥にある欲望に、衝動に気づかされます。それは大きな驚きです。
強く心惹かれた作品を以下に記します。不在の強さは存在の強さと同じである『デイ・ドリーム』(佐藤安稀監督)。“好き”は魔物、が切実に伝わる『蒼のざらざら』(上村奈帆監督)。つくり手自身の焦燥感がにじみ出てくる『オリンピアの嘲笑』(三原慧悟監督)。父親不在の現在社会が見えてくる『風和理~平成の駄菓子屋物語~』(田中健太監督)。「すいませんなんて日本語はねーんだよ」に痺れました『ダスティミラー』(植草 凌監督)。優しさの極みは悲しさに通じる『帰郷』(重政良太監督)。数学という学問の官能性をすてきに魅せる『笑女クラブ』(川崎 僚監督)。
審査をさせていただいて、ありがとうございます。

結城秀勇(ライター・映写技師)

ここ数年毎年同じ感想を言っている気もするが、年を追うごとに目に見えて応募作品全体の技術的なクオリティが上がっていると感じる。実際に今年は2次審査で推したい作品の数が例年より多かった。それ自体は素直に喜ばしいと思いつつ、同時にそれだけでいいのかという疑問も浮かばなくもない。本映画祭のような映画祭への出品を契機に、あるいはそうしたものを介さず直接に、いわゆる自主映画が劇場で一般公開される機会は目に見えて増えているし、急増する邦画年間公開本数もそれを示している。だがそれでつくり手たちの可能性が広がっているように思えないのはなぜだろう。もっといえば、自分が一観客として見たいのは、「スクリーンでかけるに相応しい」程度の映画なのか?
そんなもやもやした気持ちに、応募作中もっとも熱い心意気を見せてくれたのは『甘党革命 特定甘味規制法』だった。砂糖の使用が禁止された社会で、規制に反対するデモ隊の一人が砂糖の代わりに使用されている人工甘味料についてこんなことを言う。「我々が欲しいのは、味じゃない。カロリーだ」。
今年の審査の感想はこの一言に尽きる。一粒300m走れるカロリー、なぜかはわからないが突き動かされる熱、それが欲しい。そりゃまずいよりうまいほうがいいが、走れなければしかたない。1800円払っても損した気がしない映画が見たいんじゃなくて、それを見たせいで人生が狂ってしまうような映画が、もっと見たい。

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