監督・脚本:鶴岡 慧子(つるおか・けいこ)1988年生まれ、長野県上田市出身。立教大学現代心理学部映像身体学科で万田邦敏監督に師事し、2012年に卒業。卒業制作の初長編映画『くじらのまち』が第34回PFF(ぴあフィルムフェスティバル)「PFFアワード2012」においてグランプリとジェムストーン賞(日活賞)をW受賞する。その後、同作品は第63回ベルリン国際映画祭、第17回釜山国際映画祭をはじめ各国の映画祭で上映され、エクアドルの第11回クエンカ国際映画祭では主演の片野翠が主演男優賞を受賞するなど高い評価を獲得。台湾では劇場公開も果たした。また、2013年7月には『くじらのまち』の功績により、出身地の長野県上田市より上田市長表彰が授与された。大学卒業後は東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻監督領域に進み、黒沢清監督に師事。1年目に撮った長編2作目『はつ恋』が第32回バンクーバー国際映画祭ドラゴン&タイガー賞にノミネートされる。2014年3月、修了作品『あの電燈』を発表。同作はユーロスペースで公開されたほか、各地の映画祭で上映され、またロケ地の上田市で開かれた上映会では約300人を集めた。次回作は新潟の燕三条で地元市民が立ち上げた「燕三条フィルムプロジェクト」で製作する『ともに担げば』で、『過ぐる日のやまねこ』の和茂役を演じた植木祥平と材木店の従業員・浩二役の髙野春樹がW主演する。両親の影響で幼い頃からものづくりに親しみ、小学生の時に自分の表現欲を一番満たせるのは映画だと直感。影響を受けた映画監督は相米慎二。絵を描くのも好きで、好きな漫画家は吉田秋生。

Filmography『くじらのまち』The Town of Whales2012年|70分|カラー|16:9|HD出演:飛田桃子、片野翠、山口佐紀子高校生最後の夏休み。まちは仲良しの朝彦とほたるとともに、6年前に失踪した兄を探すために東京に向かう。男女3人の心は微妙にすれ違っていき……。ロードムービー仕立ての青春映画。『はつ恋』My First Love2013年|82分|カラー|1.85:1|DCP出演:柳谷一成、富田理生大学受験を迎えた恭一は、母と継父とともに東京でしばらく暮らすことになり、年上の奔放なめぐみと出会う。イワン・ツルゲーネフの『はつ恋』を原作に、少年期の苦くて鮮烈な体験を描く。『あの電燈』A Light in the Distance2014年|53分|カラー|16:9|DCP出演:小林万里子、清水尚弥、麿赤児台風に備えて全住民が避難した町。ある理由から一人留まった高校生のマドは、逃げそびれた同級生の男子とともに無人の町を歩き回り、やがて閉鎖された工場へたどり着く。ほぼ全編を上田で撮影。

RODUCTION NOTE 鶴岡慧子監督インタビュー

田舎を撮ろうと思ったきっかけ本作の構想は、第23回PFFスカラシップのコンペへの参加が決まった時点で私が実感していたことが基になっています。2012年、大学の卒業制作『くじらのまち』が思いがけずPFFの賞をいただき、その後海外の映画祭にも行くようになり、周りの環境がめまぐるしく変わりました。プライベートでも変化があり、当時の私は混乱していました。そんな中、福井の映画祭に呼ばれて田舎町を歩いていた時に、ふと「田舎の話を撮りたい」と思ったんです。田舎の町で暮らす人々がいて、町を出ていきたいと願う陽平のような人がいる。そこへある時、時子のような異物が外からやって来る。そんな人間関係が最初に思い浮かびました。また、『くじらのまち』は震災の年に撮るということを強く意識しながら作った映画でしたが、その3年後に撮る映画として、喪失感の先にあるものを見出したいという思いがありました。 山奥に棲むやまねここの映画のやまねこは山奥に棲んでいて、出会えたら奇跡のような動物。そして出会えたと思っても、それが本当のことだったという確証はない、幻の存在です。人々を死へおびき寄せているような、ちょっと危うい境界線上にいる不思議な生き物として登場させました。『くじらのまち』のくじらに続いて動物をモチーフにしているのは、私がものすごく動物が好きだから(笑)。昔から山の中や動物園で動物と対面するたびに、私のことを記憶してほしい、その動物にとって私の存在が特別であってほしいという一方的な願望が湧きます。イメージに合うやまねこの剥製を見つけるのは大変でした。神秘的で化け猫感のあるやまねこを全国規模で探し、最終的に小田原の博物館に保管されているものをお借りしました。ちなみに劇中の山小屋に動物の剥製が何体もあるのは、そこが異空間であることを表しています。前述の福井の映画祭の帰りに恐竜博物館に寄ったのですが、館内を掃除するある女性を見た時に「この人は地元で働きながら異空間にいる」という不思議な感慨をおぼえました。その感じを山小屋に再現しています。 画像 長野県上田市でのロケ脚本を書き始めた当初は舞台を限定していなかったものの、田舎の風景といえばやはり故郷の上田が思い浮かび、上田で撮影しました。上田ロケは『くじらのまち』、藝大の修了制作『あの電燈』に続いて3回目。前2作では上田であることを前面に出さず、主に地元だから撮影しやすいという制作上の都合で上田を選びましたが、今回は自分のルーツであることを強く意識しました。陽平が通う高校は母校の上田高校で、加野木材は上田駅と実家の間あってよく横を通り過ぎていた材木店。山小屋、神社、陽平の家などは制作部がロケハンで見つけました。
山小屋は10年以上使われていない別荘をお借りして、剥製や、私の祖母宅にあった古い家財道具などを入れました。時子が読んでいたという設定の子供用の本などは、私や姉妹が昔読んでいたものです。陽平の家は、部屋数が多く、様々な角度から抜けの画を撮影できる間取りが気に入って選択。時子と陽平が沢で遊ぶシーンや切り株に座って話すシーンは、もともと別の川沿いで撮る予定でしたが台風で氾濫してしまい、神社のシーンの撮影時に助監督がすぐそばに見つけたスポットで撮ることに急遽決定。雨や照明の具合で予想以上にファンタジックな雰囲気になりました。 メインスタッフの大半は同級生メインスタッフのうち、撮影(小川努)、照明(跡地淳太朗)、録音・音楽(中野弘基)、美術(岡田匡未)、助監督(栗本慎介・一見正隆)は大学院の同級生や先輩です。経験豊富なプロのプロデューサーや制作部のもと、学生時代と同じ方法で商業デビュー作を撮影できてとても幸運でした。短編1本と『あの電燈』に続いて組んだ小川さんは、大学院に入る前は写真を撮っていた人で良くも悪くも映画撮影のルールに縛られていないため、現場で毎回彼がどこにカメラを置くのかが楽しみでした。ただ、カットによってはなかなかカメラ位置が決まらない時もあり、また私もどんな画が欲しいのか言葉で説明しようとしないので、一部のスタッフ・キャストからは監督とカメラマンが意地の張り合いをしていると思われていたようです(笑)。これまでの作品では主に自分で行っていた編集は、ベテラン技師の普嶋信一さんにしていただきました。物語を伝えるための潔くてスタンダードな映画編集は、見ていてとても勉強になりました。
いなくなった人の気配が残り続ける社会私自身、長野県の小さな田舎町で生まれ育ち、高校生の頃から早く出て行きたいと思い、卒業後に上京しました。地元に残った人たちに対して、何かを押しつけてきたのかもしれないという負い目を感じることがあります。この映画の陽平は、その何かを引き受けてくれて、「自分は残るから君は出て行っていいよ」と言ってくれた人を失います。謎に包まれた和茂の死について、町の人々は好奇心を隠さずにあっけらかんと話します。あれは私が知る田舎町の日常です。都会で誰かが不可解な死をとげたら、知人たちはあれほどオープンに話さないだろうし、また慌ただしい日々の中ですぐに忘れ去られるような気がします。でも人が少ない田舎では、十数年前の時子の父親の事件がそうであるように、死んだ人の気配は人々の記憶の中に残り続け、日常の一部となるのです。 画像 故郷で映画を撮るということ本作では、資金集めからロケーション協力、出演まで、信州上田フィルムコミッションに全面的に協力していただきました。また私の祖父母は生前、地域に密着した活動を行っていたのですが、今回私たちが協力をお願いしに行った先々で「あの人のお孫さんならぜひ応援したい」と言っていただき、先代が遺してくれたものの大きさを実感しました。地元の人たちと一緒に映画作りをしたことは、かけがえのない経験になりました。私にとって本作の撮影は、「私は出て行った者だけれど、ベースはここなのだ」と皆さんに表明することでもありました。そしてそのような創作過程で、田舎の描き方も変わっていきました。最初は閉塞感や一部の人にとっての生きづらさに焦点を当てていましたが、土地で生きるための知恵や、出会いや人のやさしさが主人公にもたらす変化を描きたいと思うようになりました。 対照的な時子と陽平時子は非常に説明しづらいキャラクターで、一つひとつの行動に明確な理由や意図はありません。怪我した手が痛いからだるそうに歩いたり、痛み止めを飲んだら回復したり、というように体の調子に基づいて動いています。時子役の木下美咲さんはあの目力の強さと動物的な魅力で、時子のつかみどころのなさを説得力豊かに演じてくれました。また、脚本の時子はもう少しやさぐれていて、私の中では相米慎二監督の『風花』のヒロインのようなイメージだったのですが、木下さんが演じたことで品のよさが加わりました。いかにも都会の擦れた女性という感じにならず、結果的によかったと思います。一方、陽平は言い争ったり、混乱したりと感情の起伏が激しい役。陽平役の泉澤祐希くんはオーディションの時からとにかくその芝居に魅せられ、カメラの前に立つと役のスイッチが一瞬で入るのにはいつも舌を巻いていました。役作りに関して泉澤くんと話したことで印象に残っているのは、陽平の和茂との関わりについて。画面に映っている和茂は幽霊ではなく、陽平の記憶の中の存在です。陽平は和茂を忘れてしまうのが怖くて、和茂の気配を感じ続けている。その気配が時子と出会ったことで消える。そして陽平の父が劇中で言うように、忘れても大丈夫なんです。記憶が上塗りされて、変化が生じることは当たり前のことで、それを怖がっていては前に進めない。時子と陽平は、お互いの大切な人を亡くしたという記憶を上塗りする存在であり、二人の出会いは変化の始まりなのです。主人公二人のシーンはどれも好きですが、特にラストのバス停のベンチに座っている姿が気に入っています。一言も交わさずに欠伸をする二人を撮った時に、「私はこれがやりたかったんだ」と思いました。