

| 作品名 | 監督名 | 作品名 | 監督名 |
|---|---|---|---|
| 『青いぜ!!春』 | 内村一義 | 『水路の兄弟』 | 吉野耕平 |
| 『Amour Baguette』 | 鷲見香津代 ブルーノ・フェレラ・バルボザ |
『沈殿地』 | 岡室耕司 |
| 企画賞(TBS賞)、ブリリアント賞(日活賞)、観客賞(仙台) 『WEEKEND BLUES』 |
内田健二(内田けんじ) | グランプリ、観客賞(名古屋) 『つづく』 |
菱沼康介 |
| 観客賞(大阪) 『WEAR DESTRUCTIVE FIST!!』 |
廣川淳志 真下義和 |
審査員特別賞、音楽賞(TOKYO FM賞) 『南極へは、きみとふたりで』 |
亀渕 裕 |
| 『黄金の月』 | 長岡広太 | 『漂白剤』 | 山下征志 |
| 『カジラレ島のふたつの灯台』 | 北澤康幸 | 準グランプリ 『ファロウ -ずっと一緒に-』 |
植松 淳 |
| 『CUTS』 | 大谷浩之 | 『窓、スズキ』 | 北本達也 |
| 観客賞(福岡) 『グレゴリオ』 |
仲井 陽 | 技術賞(IMAGICA賞) 『みち』 |
佐々木 紳 |
| 観客賞(東京・大分) 『ジンジャーエール』 |
田淵史子 | 審査員特別賞 『よっちゃんロシア・残りもの』 |
玉野真一 |
| 審査員特別賞 『睡蓮の人』 |
村田朋泰 | 『Living Will』 | 清水 敬 |
応募総数 723本 入選 20本

彼が流す脂汗の理由を、誰も知らない。
どこにでもある中学の、どこにでもある授業風景。昼休みを前にした4限目、ほとんどの生徒に集中力は残っていない。しかし、その中でも飛び抜けて“心ここにあらず”なヤツがいる。大山のぶ夫。彼は猛烈な腹痛に見舞われていて、今ここで出てはならぬモノが出口間際まで降りてきているのを、やっとの思いでせき止めているのだ。しかし、もしすぐトイレに駆け込めたところで問題は解決しない。14歳ののぶ夫達にとっての真の問題は「学校のトイレで大をしたヤツ」というレッテルを張られる事態だけは、何がなんでも避けなければならない、ということなのだ。そこでのぶ夫は考える。昼休みになったら素早く自宅に戻ってスッキリし、誰にも知られないうちに学校に戻ってくる計画を。時間はギリギリだが、選択肢は残っていない。彼の命懸けの冒険が始まった。
自意識や性欲や、将来への期待&不安や家族との距離感が、急激に芽生えてしまう中学時代。その恥ずかしさと無駄な頑張りを、具体的な例を挙げて次々とスケッチ。だが、チープな思いつきを笑える映像にできる力と、実はよく練り上げられた脚本が、各エピソードが独立していることを気付かせない。忘れ物ばかりして学校にたどり着けないハマちゃんやエロビデオを借りて満面の笑みで早退するしがらみ君など、キャラクターづくりも巧みだ。ラスト、のぶ夫が食中毒で再び便意と死闘というオチもアリだったのでは?
2001年/DV/カラー/45分 英題:Spring, Fuckin' Blue!!
監督・脚本:内村一義
制作:小池美帆 撮影:小池美帆、甲斐光洋 編集:内村一義、小池美帆 録音:甲斐光洋
出演:宮坂宗一郎、好井子ユミ、優太、国分屋太一、小池美帆、初恋きゅんすけ、北斗カケル、福井一夫、小野塚貴子、百瀬 彩、橘 先斗町、石井真人、肉野 徹、歌川恵子

こっちの建前、あっちの本音。
日本人女性かおりと結婚して東京で生活しているフィリップのもとに、青春時代の大親友アランが訪ねて来る。アランをもてなそうと、知り合いのフランス人女性を呼んだり、ドライブ旅行を計画していたフィリップとかおりだが、アランは「旅の目的は日本の女の子とヤルこと」と公言してはばからない、スケベで下品で自分勝手なヤツだった。さらに、不潔でケチで人種差別主義者で無神経な彼に、かおりは早々に関わりを拒否。フィリップは1人で面倒を見ることになる。ディスコでヨーコという女性をゲットしたアランは、フィリップを誘って合同デートをするが、自分はヨーコにフラレてしまう。ヤケになってフィリップまで追い出すアラン。久々の再会だったはずなのに、フィリップは失望とともに、かつての親友を見送るのだった。
国際間のギャップ、男女間のギャップ、価値観のギャップ、時間のギャップ…。人と人のコミュニケーションを邪魔する諸々が、あらわにになったり、チラッとのぞいたり、見えない形で現われたり。本当は常に存在するが、普段は触れないようにしている問題を、思いがけず親友との再会が暴露する。その一部始終をクールに、リアルに、テンポよく描き出した。それができたのは、全登場人物に対して作家が等距離をとっているから。それにしても、下品でも正直なアランと、1人になった途端に友達のアドレスを書いたメモを捨てるフィリップ、どっちがイヤな人?
2001年/DV/カラー/48分 英題:Amour Baguette
監督・脚本:鷲見香津代、ブルーノ・フェレラ・バルボザ
撮影・編集:鷲見香津代 録音:セシール・ペローズ 衣装コーディネート:アニエス・ブリアー メイク:川畑千佳子、宮田智子
出演:ジル・ボーフィス、リオネル・ランジェルセー、セシール・ペローズ、佐藤かおリ、川畑千佳子、宮田智子

男が失恋を乗り越えるいくつかの方法
山本健介、28才、人間のオス。心優しく少し気が弱い、ごく普通のサラリーマンである彼は、高校時代から好きだったフィアンセのさっちゃんを半年前に他の男に取られて以来、生きる意欲もない日々を過ごしていた。自殺にも失敗した健介が親友の健二の部屋に行くと、ネットで知り合ったという恋人のあゆみがいた。美人で料理も上手なあゆみにメロメロの健二は、フリーター生活を改め就職するつもりだという。2人を祝福しつつも落ち込む健介に、健二は偶然手に入れた「自信が出て幸せな気分になれる」というドラッグを渡す。ヤケクソで一気に飲み干した健介は、目覚めると丸1日の記憶を完全になくしていた。失われた記憶を求めるうち、誤解と勘違いと徒労に満ちた彼の冒険が始まる。
「自主製作映画のマニアックなイメージを壊すため、おもしろいかおもしろくないか、わかりやすい映画がつくりたかった」という内田監督の狙い通り、思わず引き込まれる上質のエンタテインメント作品に仕上がっている。「わかりやすい」と言っても単純な内容ではなく、時間を逆戻りさせたり、いいトシした男だからこその哀愁を笑いの中に描いたりと、ドラマとしての見応えを追求した脚本と演出の完成度は高い。映画製作の経験は特にないまま、脚本、監督、編集、役者を兼ねて、これだけのドラマをつくった内田健二のセンスと手際は驚きに値する。失恋経験のあるすべての男達に捧げる、愛と涙の再生物語。
2001年/DV/カラー/104分 英題:WEEKEND BLUES
監督・脚本・編集:内田健二
音楽:ミツ石橋
出演:中桐 孝、熊沢麻衣子、横田大吾、内田けんじ
| 2003年 | ニッポンコネクション | (ドイツ) |

その拳は、世界を壊すのか、愛をつかむのか。
戦闘用に改造、強化された人工の「拳」=「DESTRUCTIVE FIST」が唯一の凶器であり兵器となった、200X年のとある社会。より強い「拳」を持った者が生き残り、弱い者はすべてを奪われるという掟の下、人々は死の恐怖と隣り合わせで1日1日を過ごし、街には閉塞的な空気が色濃く漂っていた。そんな中で、かつて同じ青春を過ごしながら、大きく運命を分けてしまった3人がいた。愛する人を守るために人間らしい心を捨てて最強の「拳」を手に入れた男・アクツと、強さより優しさを信じようとする男・カガン、カガンの姉でありアクツの恋人だったキリコだ。そして今、力に任せてキリコを手に入れようとするアクツと、キリコを連れ戻そうとするカガンの対決は避けられないものとなった。どちらかの死を賭けた壮絶な闘いが始まる。
近未来の街の退廃と不気味を、ざらついたモノクロの画面で上手く表現。また、音楽とともに手持ちのカメラが緊迫感を煽る。こうした映像の特徴は、リアルな風景が映し出された時に観客が現実に引き戻されるのを防ぐ解決法にもなっており、どこまで意図的かはわからないが、知能犯的な匂いがある。2人の監督による共同作品だが、細部にわたるまで世界観が統一され、違和感をまったく感じさせないのも、この作品の大きな特徴と言えるだろう。ただ、何人もの男達が命がけになるのが納得できるだけのヒロインの魅力が描ききれていないのが残念。
2001年/DV/白黒/30分 英題:WEAR DESTRUCTIVE FIST!!
監督・脚本・美術・編集:廣川淳志、真下義和
企画・原案・VFXスーパーバイザー:廣川淳志 撮影監督・絵コンテ:真下義和 音楽:MARBLE 美術協力:デストロイドロボット(野州哉美) 音響協力:SK
出演:高岡 新、薮田健太郎、奥田桂子、門松槙二郎、HECO、上野良平、織田博文、近藤和見(ロヲ=タァル=ヴォガ)

日本人はどこから来て、どこへ行くのか。
浴衣、麦茶、うちわが当たり前に夏の必需品だった昭和20年代後半。妻を亡くし、息子・國男と暮らす杉田には悩みがあった。妻の死をきっかけに、常識では考えられない変化が國男の身に起こり始めたのだ。小学4年生だというのに体も顔つきも大人のそれとなり、めったに口もきかず、そばにいるだけでなぜか恐ろしい気分になることも増えてきた。今日も具合が悪いと寝込んでいる息子を往診してもらうが、悪いところは見つからない。医者は「心配ない」と言うが、國男がにらんだだけでコップが割れる。そして医者が帰ったあと、息子の不思議な力に導かれるように、杉田は見るはずのない景色を次々と目の当たりにする。妻・よしえの死、極限状態で死んでいった戦友の佐伯、一心不乱にお経を読む人々…。次第に現実と幻想の境目は曖昧になり、遂に杉田の家の廊下に真っ赤な鳥居が現われる。そして鳥居の向こうに杉田が見た巨大な物体とは?
一見、ごく普通のオカルト作品を思わせるつくり。しかし物語が進むにつれて次第に「日本人とは?」「日本人らしさとは?」というテーマが現われる。後半、せりふへの配慮が手薄になるが、戦争、宗教などの軽くないモチーフを通し、シリアスな問題に地に足のついた姿勢で取り組んでいる。昭和20年代という時代も、テーマが不自然でないという理由から選んだものだろう。わかる話をわかる範囲で扱う作品が多い中で、貴重な取り組みと言える。
2001年/DV/白黒/39分 英題:The Golden Moon
監督・脚本・撮影・編集:長岡広太
美術:高木里美 照明:宮崎正輝 音楽:thraw 衣装:寺田綾子 アドバイザー:田中貴子
出演:扇田拓也、倉沢 学、紺谷昌充、稲田美穂、扇田森也、光岡原子、野ロ雄介、結縄久俊

戦車でも大砲でも壊せないもの
戦争をしているか、いがみ合っているかで、長い時間を積み重ねて来た2つの国。その国境線上に小さな島があり、2つの国は張り合ってそれぞれ灯台を建てた。だが、そこに派遣された灯台守の老人と若者は、共に争いを好まない優しい人物だった。家族や恋人を思って眠れない長い夜も、隣の灯台守も同じような夜を過ごしていると思うと、安らかな気持ちになれた。荒れた天候の日は、隣の灯台守の無事を願った。しかし国同士の衝突は相変わらずひどく、領土を争ったり、灯台の高さを競ったり、爆弾を仕掛け合ったりと、さまざまな戦いを次々と繰り広げていく。2人の灯台守は、毎回一番近くで迷惑をこうむりながらも、敵国の灯台守の身を案じ、そして密かに、静かに、その島でしか育たない友情を育てていくのだった。
セピアカラーの線画で描かれたアニメーション。作者が選んだ絵のタッチは、子どもっぽくもエキセントリックでもなく、世代や性別を問わず好かれそうな、懐かしい香りのする漫画系。主人公2人のキャラクターにマッチしており、セリフがなくても充分に彼らの暖かな心情を伝える。国と個人の交流の温度差という構図は特に珍しくなく、展開も基本的にシンプルだが、枝葉のエピソード(戦争の激化が原因で火山が噴火→島に温泉ができて灯台守が仲良く入浴するなど)に大らかさと細やかさが同居するユーモアが感じられ、個性となっている。
2001年/DV/カラー/15分 英題:The Two Lighthouses
監督・脚本・アニメーション:北澤康幸
音楽:奥田祐子 音響:北澤康幸/夏川憲介
| 2004年 | 第4回リール映画交流祭 | (フランス) |

じゃ、こうしてみようか。
若い男は演出家。2人の女は先輩女優と新人女優。舞台のためか映画を撮るのか、3人は一軒の家に毎日のように集まっては、芝居のフリーエチュードを繰り返している。だが脚本の類は一切なく、あるのは演出家のイメージのみ。しかもそれもかなり漠然としており、女優への指示も明らかに思いつき。芸術家風の繊細なルックスや、いつも悩んでいる態度とは裏腹に、どうやら才能はないらしい。先輩女優は彼の求めるものがつかめず、自尊心を傷つけられたり、女優魂に火をつけたり。片や新人女優は、言うことなすこと「それ、いいね!」「それ、行ってみよう!」と気に入られるが、だからと言って演出家の意図がわかるはずもなく、むしろそのことで先輩の機嫌が悪くなることを気にする現実主義者だ。かみあわない共同作業。カットされるたびにゼロに戻っていく、生産性のない時間と人間関係。それでも3人は集まって稽古に励む。ムダの積み重ねに、大人の夏休みのような、ゆるい心地よさを感じながら。
策士というよりは天然、ブラックユーモアというよりはおとぼけな不思議な間とリズム。その効果で、バカバカしいことに真剣に取り組む才能がない人物達を描いても、まったくシニカルにならず、繰り返されるナンセンスも決してくどくない。偶然の産物に見えるようなきわどさだが、作品中の演出家とは逆に、作家の持つセンスの良さが、見終わったあとに確かに残る。
2001年/DV/カラー/33分 英題:CUTS
監督:大谷浩之
スタッフ:諸江 亮、桜庭真一、小澤 貴 音楽:袖岡隆泰 協力:板橋GOG、米山家
出演:中島美奈、堀 愛恵、上野昌弘、下口谷 充

シュールと寓話のスパイラル
デタラメ語の世界で、若くして売れっ子コント作家の名を欲しいままにしている男。彼は最近、スランプの予兆を感じている。これまで順調に成功してきただけに、その予感は大きなプレッシャーとなり、自分の書いた作品に自信が持てず、何となく雰囲気でごまかすというギリギリのところで仕事を続けている。そんな精神状態は家庭内にも悪影響を及ぼし、妻の励ましを無神経なものに感じてイラついて当たってしまい、ケンカをしては反省をし、仲直りに2人で散歩に出かけるという毎日を繰り返している。そんなことにも飽きたある日、ふとしたことからサムライ語を話すサムライを助け、成り行き上、居候させることに。一方、妻には夫の知らない恐ろしい秘密があり、それに気付いたサムライは、命の恩人である作家のために妻を斬ろうとする。大騒ぎの家に次にやって来たのは、人間の姿をしたウサギだった。
作家と妻が使うデタラメ語は、すべて日本語のスーパーが出る徹底ぶり。そのことからもわかるように、内容はナンセンスに次ぐナンセンス。答えがわかるかと思うと、違うジャンルから質問が出されるようなはぐらかし方だ。編集時にストーリーをつくったというが、陰影が深くニュアンスを感じさせる画面と、全員が真剣な口調で話す様子が、この作品をただの思いつきと思わせない効果を発揮している。
2001年/DV/カラー/23分 英題:Gregorio
監督:仲井 陽
出演:山岸正知、神代由梨、秋山暢子、林 武士、増村友見、岡本 諭

その時のジンジャーエールは、苦かった。
高校卒業と同時に生まれ育った故郷を出て東京にやって来た僕は、大学を卒業した後も何となく東京に留まっていた。そこへ幼なじみのリキちゃんから、結婚することになったと連絡がある。僕とリキちゃんとヒコちゃんは、タイプは違うがずっと仲良しで、いつも一緒にいた仲だった。そして15歳の時に「10年後の自分に向けた手紙を書いて、10年たったら掘りおこそう」と、ジンジャーエールの空き瓶に、お互いに何を書いたかは秘密のまま、町の片隅の木の根元に埋めていた。ちょうど10年目に当たる年、久々の再会を楽しみに、かつて3人でよく行った定食屋で仲間を待つが、彼らは現われない。傷心のまま東京に戻った僕は、しばらくして彼らが来なかった理由を知る。そして再び故郷に戻り、1人きりで木の根元を掘り起こし、ジンジャーエールの瓶から3人分の手紙を取り出すのだった。
明確な理由もないまま、宙ぶらりんな状態で東京にいることに不安や虚しさを感じ始めた主人公が、帰省を通して自分を見つめ直す。その寡黙な工程が、故郷の定食屋のテーブルという定点から、いくつかの時間を戻るという作業によって描かれる。過去、現在、ありえなかった時間と重ねられていく風景は、店の小ささもあり、ややもすると変化に乏しい。しかし全体から伝わってくるつくり手の映画に対する誠実さが、小さな欠点を補ってあまりある魅力になっている。
2001年/ビデオ/カラー/47分 英題:GINGER ALE
監督・脚本:田淵史子
撮影:上原源太 アドバイザー:諸江 亮 照明:奥田賢太、鯉淵雄一、樋ロ哲史 録音:北川悟士 音楽:オケラ座、THE MICETEETH ヘアメイク:高野毅弘 協力:万場町役場
出演:阿藤利郎、宗形力也、本山彦次郎、小山萌子、高橋和久、楊 崇、立花あかね、西村道勝、石井 泉、小浅和大、中牟田栄喜、木下祐子、久保公二、新堀創世、蔵 一彦

残された人の、残された時間の使い方。
初老の男が1人で暮らしている。家族も、訪ねて来る人もいない。少し寂しいが、贅沢を言えばキリがないと諦め、時間が止まったような家の中で日々を過ごしている。ある日、男は夢を見た。夢の中で、ゲタの音が聞こえた。自分はこの音を知っている。そう思いながら目を覚ますと、部屋に1匹のカメがいた。なぜか懐かしい気持ちのするカメに導かれるように鳥居が続く階段を登っていくと、池のほとりに辿り着いた。すると男の脳裏には、はっきりした情景がよみがえって来る。まだ自分が20代の頃、やはり若かった妻と2人で来た場所だった。いつも無口な自分の隣で、いつも笑顔でいた妻。夢で聞いたゲタの音は、妻のものだった。その時、男はやっと思い当たる。それは亡くなった妻からの伝言だと。何も考えずに過ごすのと、懐かしい人を思い出しながら生きるのでは、孤独の意味が違う。たまには自分を思い出してほしい――。寂しさを避け、思い出すことをしなかった自分は、亡き人に寂しい思いをさせていたのだ。そう気付いた男の目に、やさしい睡蓮が映った。
ラフにつくった紙粘土細工のようなテイストのクレイアニメーション。その素朴さが「孤独とは、1人ではないことを教えてくれるものだと思う」という作家のメッセージを、さり気なく、あたたかく伝える。ふすまや廊下や木の窓枠など、家の細部に懐かしい昭和の風景を丁寧に再現した点もまた、作品に深みを与えている。
2001年/DV/カラー/16分 英題:Nostalgia
監督・脚本・編集・美術・照明:村田朋泰
音楽:坂巻史和
声の出演:村田朋泰
| 2003年 | マンハイムハイデルベルグ映画祭 | (ドイツ) |
| フリブール映画祭 | (スイス) | |
| ニッポンコネクション | (ドイツ) | |
| 2004年 | 第9回香港インディペンデント・ショートフィルム&ビデオアワード | (香港) |
| 全州国際映画祭 | (韓国) | |
| 第1回グリーン・フィルムフェスティバル | (韓国) |

僕の実家は、地面の下にある。
排水溝の奥にある水路で暮らす家族がいる。しばらく前に地上に出た弟が、久しぶりに戻ってきた。相変わらず祖父と愛犬とともに暮らす兄は、弟を誘って魚釣りに出かける。兄に先導されて久々に歩く下水道は、新しい道ができたり、結構、様変わりしている。兄は、便利なバケツからご飯やおかずや食器を取り出して食事の世話をしてくれたり、以前より少し優しい。そして初めて習う水路生活者式魚釣り。それは、不思議な楽器の音色に誘われて集まってきた魚を、こん棒でなぐるというものだった。釣果は地上の専門業者に買い取られ、家族の生活費の足しになるのだ。楽しかった再会は終わり、兄は水路に、弟は地上に帰っていく。また会おうと緩やかな約束をして。
生活に不可欠なものであり、街全体に張り巡らされていながら、普段ほとんど意識することのない下水道。そこで暮らす人達がいたら…というアイデアは、監督自身がゴム長靴を手に入れたことをきっかけに近所の用水路を散歩した経験がベースになっているという。その静かな興奮は、水路から見た地上の景色や、意外と広かったり明るかったりする水路の表情など、素直に映像化され、観客にもワクワクした気分として伝わってくる。自転車のベルをもとにした楽器が水のドームに響かせる音色は、無類の美しさ。水路を歩く音といい、耳でも充分に楽しめる作品である。
2001年/DV/カラー/15分 英題:Brothers of the Creek
監督・脚本・撮影・編集:吉野耕平
音楽:宮武東洋 撮影補:福島則行 車輌:武藤弘樹、岡本 敦
出演:筒井一行、今増良平、岡本 敦、保田善彦

闇の中の生と性と死と詩。
3人で1組となり、下水道を調べている調査員達。下水道構内は広く暗く、規則的な水の音が流れる中、持参の灯りだけを頼りに、彼らは言葉もなく作業を進めていた。しかし不審なものを見つけた1人が、何かを確かめようとして襲われる。それは、下水道に住む未知の怪物だった。逃げようとしたもう1人も殺され、残ったのは気を失ったことが幸いして生き延びた女性だった。彼女は目を覚ますが、怪物が仲間のはらわたを食べるところを目の当たりにし、一気に動転してしまう。無我夢中で走り出口を探すが転倒、はずみで呼吸装置が取れてしまう。その構内では装置なしでは長く生きられない。必死に探すものの、暗くて焦っているため見つけられず、彼女は遂に息絶える。その死体を見つけた怪人は、意外な行動をとるのだった。
まず構図づくりが上手い。暗い画面に、全身を白い作業服で包んだ調査員が映る、その角度、黒と白の分量のバランスが絶妙である。それを支えるのは、闇を墨絵のようなグラデーション、白をにじむような発光体で見せる技術。スタッフ・クレジットに「配光」と「配光アシスタント」が計3人いることからもこだわりがわかるが、それは充分に画面に反映されている。技術面だけでなく、物語の構築も巧みで、一言ともセリフはないのに、ラストの怪物の悲しい弔いまで、充分にストーリーを伝えている。
2001年/DV/カラー/20分 英題:Precipitation Area
監督:岡室耕司
制作:森井丈晴 撮影・整音:清井俊樹 配光:小林 新 録音:熊倉 慎 助監督:野田裕一郎 音楽:小西竜平 撮影助手:柿崎 勝、早坂 潤 配光助手:東内英朗、茂木聖剛
出演:高橋大二郎、日和佐裕子、斎藤秀康、松下 孝

幸せは、家族でつくったり、自分で見つけたり。
1人暮らしをしながら大学に通う真理枝は、ある日、母の来訪を受ける。その目的は再婚の報告だった。自分や兄に何の相談もなしに決めてしまった母に驚きながらも、幸せそうな様子を見て祝福する真理枝。「新しいお父さんに会いに来てほしい」という母の言葉を受け入れるが、兄の広人は重い腰を上げようとしない。母に頼まれて真理枝が説得に行くと、兄は恋人と暮らしていた。やさしくてしっかり者のその女性の力も借りて何とか兄と約束を取り付けたものの、自分の知らない間に母と兄に愛し合う相手ができ、新しい家庭をつくりつつあることに、真理枝は取り残された寂しさを憶える。日曜日、兄妹は母と新しい父が暮らす家を訪ねるが、なじみのない“実家”で過ごす時間はぎこちにない。そんな中、母と散歩に出かけ、一緒に料理をし、再婚相手の働く姿を見るうち、真理枝のわだかまりは少しずつ溶けていく。
ことさら大きな表情や声もなく、感情を吐露するセリフもなく、奇抜な演出もない。役者の演技も決して達者ではない。しかし、淡々とした日常的な動作が、登場人物の細やかな感情のひだを豊かに説明する。その理由は、静かな画面の根底に、作者の描きたい空気のイメージがしっかりと保持されているからだろう。真理枝がわだかまりを乗り越えるきっかけにもう一歩踏み込みが欲しいが、ぎこちない時間を寝てやり過ごす兄の立ち居振舞いがリアルでおかしい。
2001年/DV/カラー/46分 英題:TO BE CONTINUED
監督・脚本・撮影・編集・会話:菱沼康介
制作:菱沼康介、菱沼廣士 監督補:菱沼廣士 音楽:田辺マモル ナレーション録音:萱沼正明 ナレーション録音協力:熊倉 享
出演:酒井 翠、清水 緑、篠崎理恵、菱沼廣士、清水照久

どこにいたって、同じ月を見ている。
品川、青山、琴村、川瀬は幼なじみで、今は店長のいない貸しスタジオで一緒にアルバイトをしている。単純に仲がよいとは言えないが、4人のリズムは出来上がっていて、集まって喋ってケンカも含めて一通り、といった感じである。同じ部分を確かめ合って楽しい時間を過ごすのでなく、違う部分を出し合って摩擦の時間を過ごす、不思議な友情。スタジオの営業時間のことでもめたり、電気を使い過ぎてヒューズを飛ばしたりして、お互いに呆れ、怒り、忘れ、そしてまた4人は集まる。そうやって日々は過ぎていき、先のことはわからないが、これからもこうやって過ぎていってもいいかと思えた。が、別れは突然、やってきた。
英語タイトルに「YOU'RE MY MUSIC」とあるが、この作品自体がプロモーションビデオのような、と言うよりも1曲の音楽のような映画。饒舌でスタイリッシュで繊細な女の子達の気分を、タータンチェックの枠やアニメの挿入、架空の原作のクレジット、画面の分割など映像上の遊びを盛り込んで、ポップに表現している。4人のキャスティングも良く、攻撃的ギリギリの自己主張や退廃ギリギリの皮肉っぽさ、わざとらしさギリギリの天然ボケ具合などが、魅力的な生きたキャラクターとして画面に息づく。映画を映像として捉えた自由さ、大胆さと、切ない物語のバランスが抜群で、作家の際立った個性を感じさせる。
2001年/DV/カラー/40分 英題:YOU'RE MY MUSIC
監督・脚本4/7・演出:亀渕 裕
脚本3/7:福島直浩 キャスティング:木村成宏
出演:三宅千尋、国嶋素香、舘田菜穂子、平井聖子
| 2003年 | ニッポンコネクション | (ドイツ) |

全部あげたんだから、全部ください。
ファッションデザイナーのアシスタントを務める浦山ユキコは、キャリアアップを目指してフランスに留学しようと、語学学校に通っている。そして程なく男性教師と関係を持つように。奥手だったユキコだが、貧欲なセンセイによって心身ともに変わり始めていた。ある日、呼び出されたユキコはセンセイの自宅に行くが、電話がかかってきて「急用ができたから今日は帰ってくれ」と告げられる。帰りの駅のベンチで眠りに落ち、2つの夢を見るユキコ。1つは、ホテルのシャワールームで、ベッドルームにいるセンセイと話をしている。もう1つは森の中で、ビデオを回すセンセイと喋っている。目覚めたユキコは何者かに追われるような気がしてタクシーに乗るが、彼女を追ったのは、センセイと関係を結んでいたクラスメートのハルコだったらしい。次第に夢と現実が侵食しあい、ユキコは精神の均衡を失っていく。
恋人を独占したいと願い、それが叶わず、愛情と嫉妬の激しい振り幅についていけずに壊れていく。そんな女性を描いた映画は数多いが、この作品では、壊れる様子を赤い糸に象徴させ、時に蚕の繭のように、時に結界のように張り巡らせることで、作品そのものの緊張感も張り詰めさせていく。力のあるカメラ、集中力の高い主演女優の熱演もあり、どこからどこまでが現実かという理屈を超え、心の闇を独自に映像化した。本当に怖いのは、センセイは実在したのか、という問題である。
2001年/DV/カラー/73分 英題:HYO HAKU ZAI
監督・脚本・撮影・編集:山下征志
原作:堤 泰之 制作・助監督:宮田悠輔 録音:真子母都子 音楽:後藤匡人、篠田昌伸 CG:山下征志、高木貞武 協力:福井三七夫、金井文江、金井泰晴 製作:漂白剤製作委員会、セカンドフィルムシアター
出演:かないまりこ、石崎 好

好きな人と一緒にいる人は、違う
町工場に勤める奈月は、チンピラくずれの恋人シゲから指摘される太めの体型を気にして、昼食を抜いたり下剤を飲んだりと涙ぐましい努力をする、けなげな19才。しかし彼女が昼休みを1人で公園で過ごすのは、空腹を紛らすためだけでなく、とある秘密が関係していた。奈月にはかつて実父を殺し、更生施設に収容されていた過去があった。そして今、施設の指導員である野田から、拳銃を組み立てる闇の仕事をもらっており、その受け渡しをしているのだ。そんなある日、シゲの借金のカタ代わりとして、奈月は見知らぬ男に無理やり処女を奪われてしまう。失意を振り切るように風呂に入った彼女だったが、出てきて目にしたのは、自分が組み立てた拳銃を発見したシゲだった。必死の説得も聞かず「今まで自分をばかにした連中にこの銃で復讐する」と息巻くシゲに奈月は…。
少年のような顔立ちと肉感的な体を持つヒロインの生命力が、暗いストーリーに不思議な説得力と希望を与える。体重を気にして下剤を常用する一方で、愛する男を守ろうとする時、暴力で体を奪われた時、昨日までの生活を吹っ切った時、彼女が見せる闘争的な表情、淡々とした表情、クールな表情を見せる主人公は、女性の本質をよく表している。それにしても、一緒に暮らし、夜になると奈月に迫られながら肉体関係をまったく持たなかったシゲは、インポテンツなのか、「きちんと籍を入れるまでは」という強い貞操観念の持ち主なのか。
2001年/DV/カラー/40分 英題:I WILL FOLLOW YOU
監督・脚本・撮影・編集:植松 淳
出演:村山真夏、山ロ森広
| 2003年 | ニッポンコネクション | (ドイツ) |
| 2004年 | 第9回香港インディペンデント・ショートフィルム&ビデオアワード | (香港) |

悪意が形を持つ瞬間
アパートの一室に3人の若い男と1人の女がいる。男のうちサトウは撃たれて死んでおり、女は泣いているが、サトウの死を悲しんでのことではないようだ。スズキとヤマダは、窓の外をどちらが覗くかでもめている。誰が、何のために、誰を狙って、この部屋を銃撃してきたのか、2人には心当たりがないのだ。目的も居場所も人数もわからない、見えない敵。自分達がレイプ目的で女を部屋に連れ込んだことで、警察が狙撃してきたのか。だとすれば、なぜそれがバレたのか。何かの間違いかもしれないが、それを確かめる方法はなく、目の前に存在するのは仲間の死体であり、窓に近寄れば撃たれるかもしれないという現実だ。苛立つリーダー格のスズキに、ヤマダはサトウに抱いてきた感情を語り出す。彼の告自にスズキは戦標するが、その瞬間、部屋に2発目の銃弾が……。
相手も理由も明かされないまま、命が狙われる。主人公達が置かれた境遇の理不尽さは、日常に潜む悪意の凶暴さ、根深さに比例する。誰がいつ発信者になっても受信者になってもおかしくない悪意は、この時代、多くの人にとってリアルなものであり、この作品はそのリアルさを、大掛かりなセットや余計な前フリなしに、ミニマムな空間と人数とセリフで、シャープかつ大胆に切り取る。また、CGを使って飛んでくる弾丸をはっきり見せたことで、心理劇から一歩踏み込んだ生々しさを生み出すことに成功した。
2001年/DV/カラー/13分 英題:Window, Suzuki
監督・脚本:北本達也
製作:THE VISIONNE 音楽:関口大介 協力:谷岡功一、木村悟之、石山悠貴
出演:荻野北斗、折原敬一、並木大典、野中美子

愛嬌なんて振りまかずに歩いてく
優しくされても無反応、冷たくされれば反発する。不機嫌な子どものような性格で、社会人になっても周囲となじめない佳子。数少ない理解者である幼なじみと清掃会社に勤めているが、仕事の途中で貧血を起こし、得意先のガラスを割ってしまう。同じことを繰り返す佳子に、怒った社長は山梨県にあるガラス店に自分で出向き、弁償するガラスを買ってくるよう命じる。出がけに寄ったガソリンスタンドでアクシデントがあり、スタンドでアルバイトをする達夫が同行することに。しかし達夫は佳子に劣らないひねくれた性格の上、ひどい車酔いでなかなか先に進めない。当然、衝突は起こり、車内は険悪な空気に覆われるが、似た者同士の2人は不器用に、無口に距離を縮めていく。そしてこの旅が、それぞれに小さな変化をもたらす。
誤解されたり遠回りになるとわかっていても、自分のやり方でしか答えを探せない主人公。そんな人物を淡々と描くこの作品もまた、1つ1つの段階でテーマを確認しながら、映画づくりに取り組んでいるように見える。お手軽に目立つことが可能なこの時代に、地味ながら芯が感じられるその姿勢は、貴重で清々しい。「道=ロードムービー、路=人生劇、未知=寓話。そのどれでもあってどれでもない」という、タイトルに込められた制作サイドのメッセージは、ラストシーンによく表れている。一台のはずの車のナンバーがよく変わるのはご愛嬌。
2001年/16ミリ/カラー/55分 英題:MICHI -The Unknown Path-
監督:佐々木 紳
制作:鈴木宇衣、但馬俊之 助監督:土井鮎太、鈴木真帆、唐松 愛 撮影:戸田義久、伊藤かな、丸山 剛 照明:小泉直江、山田麗華、山極大二 録音:東 志保、小山あゆみ、阪上聡美 美術:二宮ちか、古屋克実、徳永くみ スクリプター:杉田和美 編集:筒井武文 編集助手:浦山三枝 音楽:浅井勇弥 制作進行:山ロ博之、市沢真吾 撮影アドバイザー:宮武嘉昭 スチール:山ロ博之、豊田直香 メイキング:十文字 新 車輌:秋山哲史 タイミング:江幡栄一 ネガ編集:相沢尚子 整音:臼井 勝 録音所:シネマンブレイン リレコ:東京テレビセンター 現像所:IMAGICA
出演:須藤真澄、齋藤勝彦、辰巳智秋、崎山 勇、居駒多聞、高町美幸、吉田徹太、玉一敦也、澤田俊輔、遠山美穂子、小野利明

この気持ち、みっともない分、本気です。
街中の階段を、坂道を、ただただ転げ落ちていく男。ひたすら転げ続けた先には、1人の女が立っていた。対峙する男と女。緊迫する空気。にらみ合う2人が取った行動とは?そしてうんちが付いたパンツは何を意味するのか?(「よっちゃんロシア」)
じりじりした日差しが照りつける真夏の墓地。ある墓石の前で主人公はエールを送る。「行け行け、アキヤマ~」と、めまいがするほど叫び続ける。その理由は?そもそもこれは秋山家之墓なのか?(「残りもの」)
ストーリーでもイメージでも、ましてやテーマでもなく、ある種の衝動を正直に映像化した作品。その衝動とは、人を好きになったものの、そこに生まれた自分の感情や性欲をどう捉え、コントロールし、相手に伝えていいかわからず、わからないながらも何とか外に放出しなければ辛くてやっていられない、というもの。その放出方法に作者は、ダイレクトに体を張ること(途中のシーンから主人公が手にサポーターをしているのが、やらせ無しの気迫と哀愁を感じさせる。おそらく上映時間の数倍、階段を落ちたのだろう)と、一番恥ずかしいものを見せること、それを映像で記録するという形をとった。結果、この作品は作者の生理を濃密に伝えつつ、恋する者の格好悪さと切実さという普遍を、どうしようもなくユーモラスに伝える。そしてそのセンスと力技は、見る者を魅きつけて止まない迫力を持っている。
2001年/8ミリ/カラー/18分 英題:Yotchan Russia /Leftovers
監督:玉野真一
撮影:中村 功、林 賢吾、玉野真一 協力:荻原 博、寺嶋 悟、堤 岳彦、深海武範、示野朋子、堀口彩衣子、山崎由加里
出演:高橋理恵、玉野真一

恋は、ガンよりも重い病気です。
いじめられっ子だったマナブは、母親の「勉強さえしていれば誰にも負けないように」という言葉の通りに生き、現役で東大医学部に入った。しかし、医者になるためではなく、人にバカにされないための学校だったので、入学した途端に生きる目的を失い、引きこもりのような生活を送っていた。アニメのポスターとフィギアに囲まれ、自殺同好会のホームページにダラダラと「死にたいのに死ねない」と書き込む日々。ある日、マナブは胃に激しい痛みを覚え、深夜の大学の研究室に忍び込んで自分の胃カメラを撮る。写し出されたのは末期がんの胃。「ただの胃潰瘍」と告げる妹や、自分より頭の悪い医師に心を閉ざし、あれほど願っていた死が受け入れられないマナブ。自暴自棄になった彼が、偶然、手に入れた双眼鏡をのぞくと、見えるはずのないファミレスが映った。そこには天使のような笑顔の女の子が。一瞬で恋に落ちたマナブは、どうしても彼女に会いたくて病院を抜け出す。それは彼女に愛されたいと願うことでもあった。ガンも吹き飛ぶ情熱は、果たして彼女に届くのだろうか。
オタク生活のディテールや主人公が恋を知って変身していく様子など、ありがちな展開ではあるが、1つ1つのエピソードを丁寧に追って、病気の顛末やラストの笑いに結びつけた。ワイルドなルックスで、オタクにも病気にも見えない主人公だが、不器用な感じはうまくハマッたかも。
2001年/DV/カラー/80分 英題:Living Will
監督・脚本・撮影:清水 敬
音楽:山崎恭子、所 千晴 イラスト作成:大城陽功 ヘアメイク:清水ゆかり
出演:田中美央、野田 歩、志村史人、生原麻由美、豊島理恵、長山 葉、藤門篤史、遠山美枝、関口晴男、内藤雄介、山田 武、須田 真、堀内清士朗