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種田陽平美術監督×周防正行監督「21世紀から観る小津安二郎の映画と空間」

昨年、2015年9月13日東京国立近代美術館フィルムセンター・大ホールにて、第37回PFF(ぴあフィルムフェスティバル)の映画講座シリーズ「映画のコツ~こうすれば映画がもっと輝く~」として、映画監督・周防正行氏と美術監督・種田陽平氏に対談いただきました。
周防監督はデビュー作『変態家族 兄貴の嫁さん』(84)で、敬愛する小津安二郎へ熱いオマージュを捧げています。そして、たった5日間で撮影されたこの低予算ピンク映画の美術を引き受けたのが、当時24歳の種田氏でした。対談当日は、まず『小早川家の秋』(61)がフィルムで上映され、その後に2人が登壇。小津が東宝に招かれて撮ったこのオールスター映画の魅力から、若き周防・種田コンビが奮闘した80年代の思い出話まで、久しぶりに再会した“盟友”の対話は1時間にも及びました。

※本テキストは「キネマ旬報」(2016年2月下旬号)掲載のレポートに未収録分を加筆したロングバージョンです。

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異様・特異な映画だった『小早川家の秋』

種田 小津作品については、何と言っても周防さんの方が大先輩ですね(笑)。今日はその面白さや技術的な特徴について、いろいろ伺えればと思います。まず『小早川家の秋』ですが、僕は今回初めてフィルムで観ることができました。周防さんは若い頃にご覧になってました?

周防 ええ。この建物になる前の古いフィルムセンターで、小津安二郎特集が組まれたことがありまして。そのときに観ています。

種田 その差は大きいですね。知ってのとおり『小早川家の秋』は小津監督の代表作とは言いにくいし、映画美術の面から見ても「これぞ小津映画」というスタイルではない。ただ今回、DVDではなく初めてスクリーンで体験してみて、その発色の美しさに感動しました。周防さんの印象はいかがでしたか?

周防 端的に感想を言うならば、「こんなに異様な映画だったのか」と(笑)。何度も観返してきた作品ですが、改めてそう思いました。小津さんの映画は普通、ワンカット観れば小津だとわかる。特に戦後の『晩春』(49)以降は、間違いようがないほど強烈なスタイルがあります。ところが『小早川家の秋』はかなり趣きが異なる。例えば最後のお葬式シーンで3本の傘が縦に並んで橋を渡っていくところや、カラスと墓石を延々と映した有名なショットなど、仮に初見で予備知識もなく、ここだけを観たとしたら小津だとは言い切れないと思う。遺作になった『秋刀魚の味』(62)の一つ前にこんな変わった映画を撮ってたんだと、久々に観てちょっと驚きました。

種田 いつもの小津スタイルと違った印象なのは、東宝傘下の宝塚映画で製作されたことも大きいでしょうね。カメラマンは黒澤組の中井朝一さん。松竹の小津組の厚田雄春さんと違って映像のシャドウ部分が多く、それが本作の舞台である京都・伏見の家をより重厚に見せています。美術監督は下河原友雄さんで、この方は大映の出身ですね。小津監督はふだん松竹では浜田辰雄さんと組んでいますが、下河原さんが気に入ってたらしく、外部に招かれた際は毎回起用しています。新東宝で撮った『宗方姉妹』(50)も大映製作の『浮草』(59)も美術は下河原さん。特に『浮草』の仕事が印象深かった。

周防 僕も『浮草』は大好き。ただ、あの映画も予備知識なしで見せられたら、やっぱり当てられないかもしれませんね。今と違ってあの頃は、各映画会社の撮影所システムがきっちり確立していた。

種田 若尾文子さんが写ってるショットなんて特に、他の小津作品とは違った大映映画っぽい雰囲気もある(笑)。

周防 改めて『小早川家の秋』を観ると小津さん側にも遠慮があるというか、やや気を遣ってる気配もありますね。

種田 下河原友雄さんについては今日、周防さんが本を持ってきてくださってますが……。

周防 『小津安二郎に憑かれた男 美術監督・下河原友雄の生と死』ですね。著者の永井健児さんは下河原さんの助手を務めた方で、師匠と一緒に『宗方姉妹』の現場に参加している。その撮影中のエピソードがたくさん書かれています。とても面白い本なので興味のある方は探してみてください。彼は当時20代前半の血気盛んな若者で、撮影中いろいろと小津監督に噛みついています。例えばバーに置かれている電蓄──いわゆるレコードプレーヤーですね。これを用意してと命じられた永井さんは、戦後すぐのモノのない時代に、苦労して3台の電蓄を見つけてきます。デッサンを描いて寸法を測り、事前にきちんとOKももらった。ところが当日、現場で実物を見た小津さんは「これだと背丈が足りないから別のに替えてくれ」とダメを出すわけです。それでブチ切れて、3日間ストライキする(笑)。最後には監督も折れて、その電蓄で撮るんですね。

種田 ところが監督の方も、自分が決めたアングルは絶対に動かさないから、その電蓄を置いて撮っても結局は写らない。今回、DVDで確認してみましたが、電蓄は1カットも入っていませんでした(笑)。

周防 あの辺のやりとりは面白いですよね。永井さんは、師匠の下河原さんについても「ぜんぶ小津監督の言いなりじゃないか」と随分ガッカリしています。彼に言わせると、小津さんの映画はまるで時代を反映していないと。世の中は終戦直後で混乱しているのに浮浪児は1人も出てこないし。家の中に置かれているものだって、上等品ばかりじゃないかと。そこが黒澤映画と違うところだと、いかにも当時の若者らしく憤るんです。

種田 同時代の観客には、そういう印象を持っていた人も多かったようですね。僕の父親もかなりの映画好きでしたが、小津映画については「いつ観ても同じような役者が同じような話を演じてるなぁ」と話してましたし。今でこそ日本映画のブランドとして定着していますが、僕が周防さんと知り合った80年代初頭はまだ、小津作品の話ができる友人は周囲にほとんどいなかったと思う。

周防 特に蓮實(重彦)さんがきちんと論じだす前は、かなりの少数派でしたよね。いずれにせよ同時代の若い世代から見ると、小津安二郎はまず否定されるべき権威でもあったと思うんです。同じ松竹の中でも、例えば吉田喜重監督などからは厳しい批判にさらされています。でも僕たちの世代は幸か不幸か、そういった同時代的文脈からは切り離された地点で小津さんの映画と出会った。だからこそ当時の社会背景とかを気にせず、純粋にスクリーンに写っているものと向き合えた部分も大きかった気がします。僕自身、小津映画について最初に面白いと感じたのは画面そのものが醸し出すユーモアであり、あとは──この表現が正しいかどうか分かりませんが、ある種の“ポップさ”でした。

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