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PFFディレクターBLOGRSS

2012/02/14 05:08:36

ベルリンに着きました

深夜1時羽田発全日空ボーイング787でフランクフルトに着き、ビジネスマンでいっぱいの朝6時50分発ベルリン行きに乗り換え、朝9時すぎにホテルに到着し、ものすごく早いチェックインをさせてもらいました。ボーイング787。確かに、座席やトイレ、座席画面、いろいろゆったり設計の快適なフライト。何より、「夜発って朝着く」という感覚が、ほぼ徹夜状態なのを忘れさせ、そのまま映画祭事務局に行ってもろもろの手続きができ、即普通の一日が始められるのは、すばらしい限りです。まあ、今、目が真っ赤なんですけど・・・・

おそれていた寒波も一段落し、分厚い川の氷も割れてたゆたい始めています。もう数日すると、東京並みの気温に落ち着くのではという予測。ひと安心ですが、道は凍っています。

ドイツの首都となったベルリン。年内に大型の国際空港が完成し、今までフランクフルトからのフライトが到着していた、旧西ドイツの国際空港、小さく可愛い「テーゲル空港」は廃止されますが、その新国際空港に、日本ーベルリン直行便の飛ぶ可能性はゼロだそうです。ベルリンには日本企業がぜんぜんないから。ああ残念・・・

迎えに来てくれた映画祭ドライバー氏によると、テーゲル空港の跡地は、「空港の出来る前に戻す」ということで、森に帰すそうです。東京の暗渠も元に戻して、また、船で行き来する街に戻ったらいいのになあと一瞬夢想しました。

学生だというドライバー氏から、「ベルリン映画祭何度かきたことがありますか」と聞かれ、「多分あなたの生まれたころから通ってる」と答えたら(今回22回目だったので)彼は30歳。一度映画祭事務局で働いて、また学生に戻り、今年はバイトでドライバーをしているそうです。いや〜、若く見えるドイツ人もいるんですね。明日到着する木村承子監督は、私が最初にベルリンに来たときには、まだ保育園に行ってたのでは?と思うと同時に「もしかして、ベルリンがかつて東西に分断されていたことを知らない人もいるのか?」とも。・・・まさかね・・・・
かつて東西に分断されたドイツで、ベルリンは東側の中にぽっかり飛び地のように残された西側。19世紀、森鴎外が青春を過ごしたヨーロッパ最大の都ベルリンの面影は、壁の崩壊直後、かつての東側のほうにより残されており、ネオンの輝く西と、暗く手入れされない石造りの東と、コントラストがすごかったのですが、今や、街の中心部も、おもしろいことの発信地も、全て旧東側に集中しています。その前に、今や、旧西・東を話題にしません。

まあ、ともかく、ベルリン国際映画祭は、冷戦下に自由都市ベルリンで開催されることに意義のある映画祭でもあったわけです。

そして、今年。いろいろと驚くことがあります。

フォーラム部門は、カンヌの監督週間と同じく、メインのセクションへのアンチの立場で始まりました。ですから、オフィシャルセクションというよりは、ちょっと異端。また言葉を非常に大切にしていたので、映画祭カタログも、独自に、ヴォリュームたっぷりの作品紹介や監督のメッセージなどを盛り込んで発行していました。

しかし今年から、フォーラムも、コンペやパノラマと一緒に、分厚いカラーの映画祭カタログに一挙掲載され、独自のフォーラムカタログは、e-bookとしてダウンロードする形式となりました。

これは、とても大きな変化だと思います。また、映画祭全体でチケット管理がいっそう厳しくなり、もし一度でもチケットを受け取った作品を見に来なければ、即ブラックリストにのる。そうです。ひゃ〜。カンヌより厳しい?

そして、もともとベルリン国際映画祭が展開されていた、旧西側のZOO駅周辺の再開発が急ピッチで進んでいます。かつてのコンペ作品上映会場であったZOO PALASTも、映画祭ビルディングだったEUROPE CENTOREも、大工事中。来年どんな様子になっているのか、今、全く想像がつきません。

まあ、とにかく、刻々と変化するベルリンをみていると、ヨーロッパの不況をあまり感じないのですが、全ての都市計画は何年も前のもので、着工時点で現状とそぐわなくなるのは、古今東西毎度の出来事でもあります。

さて、前回のブログで、「木村監督、映画祭のスタッフを独占できるかも?」と書きましたら、それは甘い期待で終わり、明日は、岩井俊二監督作品の「friends after 3.11」の関係者もいらっしゃるそうです(監督はこられないそうで残念ですが)。と言いながら、こちらに来てから日本映画の詳細をカタログで読んでいる私。「friends after 311」がインタビュー集であることを知り、そして、明日お越しになる方のひとりは、藤波心さんということにひとり盛り上がっているのでした。

前述のドライバー氏の父上は日本贔屓で、これまで7回日本旅行を繰り返しているそうです。車中の話題も津波後の日本は大丈夫かという心配と、日本人のメンタリティについての質問など。そのあと、映画祭事務局で話かけられたスイスのプロデューサーも津波後の回復を心配してくださり、いろいろ聞かれました。贔屓の和食屋では、日本で寿司は食べられるのか心配されました。先日、ロッテルダムの帰路のドライバーも、日本を心配してくれたことを思い出します。彼はモロッコから幼い時に一家でオランダに移住し、一番上の兄が当時医学生でそのままモロッコで医者になったと。そのお兄様が3年間癌の闘病をして先日亡くなり、その3年は、保険も効かず、モロッコでの収入では手が出ないベストの治療を受けてほしくて、二ヶ月に一回、30万円近くの送金をして破産したけど悔いがなかったことや、アメリカのがん保険が役にたたなかったこと、などの話になりました。オランダ人の妻と3歳と7歳の子供がいて、この5年くらいでオランダ人の美点が失われ、他者排除の意識が急激に高
まって、冷たい国になってきているので、モロッコに移住することを考えていること、お金が貯まり子供も手がかからなくなったら、アジア旅行をしたいが、子供をストリートに放り出すタイやフィリピンのような国は絶対に行きたくないこと、モロッコでは子供は「聖なるもの」で虐待などありえないことなど聞きました。「日本も一日一件くらい子供の虐待死のニュースがある」というと、「そんなニュース聞いたことがない!日本は家族を大切にする国だと思ってた」とものすごく驚いていました。

あるイメージが、自分たちで自分たちを幻想に追い込むことはよくあるなあと、改めて確認したくなる、「日本のイメージ」。でも、世界は世界規模で“荒んで”いっているのは確かではないかと感じます。イメージから、現実へ。311が露呈したものは、つまるところ「現実」ではないでしょうか。現実をいいものに変える、その方法を文化芸術エンターテインメントそして芸能がどう担えるか、そこに「面白さ」を提示することに知恵を絞りたいと折々の会話のたびに思います。

昨年末、メジャーで全く報道されなかった、東電会長宅前の右翼青年のハンストを取材に来たのが、フリージャーナリストと、新聞「赤旗」の記者だったというのが、私の「昨年の面白さ最高の事件」でした。イデオロギーの崩壊を如実に語るこの出来事。「面白い」ことから未来の芽がみえるような気がします。

プロフィール

PFFディレクター
荒木啓子 Keiko Araki

雑誌編集、イベント企画、劇場映画やTVドラマの製作・宣伝などの仕事を経て、1990年より映画祭に携わる。1992年、PFFディレクターに就任。PFF全国開催への拡大や、PFFスカラシップのレギュラー化、海外への自主製作映画の紹介に尽力。国内外で映画による交流を図っている。

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