3月28日(水)、廣末哲万監督、脚本の高橋 泉さんの2人に、千原ジュニアさんを交えたトークイベント付き試写会「今・昔の14歳の自分、本音ぶちまけin 学校」を開催しました。千原さんは、お笑い界で大活躍する一方、映画『14歳』と偶然にも同じタイトルの自伝的小説『14歳』(講談社刊)がベストセラーとなっています。会場となった「世田谷ものづくり学校」は元々中学校の校舎で、映画さながらに中学校の教室という一風変わった雰囲気のなか、トークが行われました。
●千原ジュニア氏の自伝的小説『14歳』について
千原ジュニアさん
「書いたのは10年くらい前、22〜23歳の頃です。文芸誌での連載が決まったからと、吉本興業という会社に無理矢理書かされて(笑)。僕の人生で、一番振り返りたくない、戻りたくない年齢が14歳でした。
(だいぶ反響があるみたいですがとの質問に対し、)僕の耳にはまったく届いていませんね。オカンに怒られたくらいです(笑)」
高橋 泉さん
「(あの年代の)感触を良く書いていただいたなという感じがしました。生の声を聞いたとしても、あれは出てこないと思うし、読んでない方がいたら読んだほうがいいと思います。厳しい応援歌のようにも聞こえますど、今、やばいなという人に読んでいただきたい。物語自体は暗くて重いのですが、そうしなければいけないという熱が伝わってくる。何かと闘わなければいけないというのがわかりますね」
千原ジュニアさん
「実際には22歳で書いているので、今思うと、ええかっこしたがっている感じが本からひしひしと伝わってきます。作っている部分がありますからね。僕はあんなに喧嘩強くないですから(笑)」
●映画『14歳』について
高橋 泉さん
「“14歳”というものをずっと描きたかった。昔からさわってみたい題材の年齢でした。最初は14歳の子たちを描いていたのですが、途中から14歳のころの自分を忘れかけている同じくらいの年齢の人物を主人公にして、14歳を経た大人と、現在14歳の二重構造に変えました。脚本を書いた後に、若干、14歳の子たちを見る目が変わってきたというのはありますね」
廣末哲万監督
「実体験でもずっと覚えていたのがこの年代でした。今の自分があの子たちに対峙したときに、何が言えるかと考えたときに出てきたのが、ラストシーンのあのピアノの前で言った言葉です」
●自分が14歳だったころ〜今の自分を見つけるまで
廣末哲万監督
「義務教育で与えられることに、やりたいことがなく、家も貧乏だったので自分の部屋もない。やりたいことを探すため、外へ出ていろいろ歩き回ったら、僕は芝居というものに出会いました」
高橋 泉さん
「僕がやりたいものを見つけたのは、随分後だった気がします。10代とはあまり関係のない精神構造のときに見つけた。学校を辞めてから、何かを探してという生き方はまったくしてこなかった。生きていれば人間、何にでもなれると思ったからです」
千原ジュニアさん
「僕は結局、兄に引っ張り出されたところが大いにあるので、自分一人で何かを見つけ出したというわけではないのですけれど。でも、大人が14歳を理解しようとか、あの頃はすごいねとかいう風潮は気持ち悪いですね。ただのくそガキですから。我々は確定申告をしているわけだし(笑)。こういう教室で漫才やコントを見せる場で、兄に無理矢理ネタを書いてこいと言われて。幸か不幸かそれが受けて、カラダに電気が走ったというか、これを続けたいなと思った。もし、あの時すべっていたら、また部屋に引きこもっていたかもしれない。タイミングですよね」
●息子さんが中学以来、引きこもったままだという観客の方からのアドバイスを一言、という声に対して
千原ジュニアさん
「男の子が一歩踏み出すにはどうしたらいいかと、小さい部屋にこもり、想像力で頭を膨らましていくのは、ごくごく自然だと思います。悲観的になる必要もないというか、正直この歳になってあの当時の自分は何だったのかと振り返ると、ただの贅沢病だったのかと思う部分もあって。四畳半に家族みんなで暮らしている人なんか、引きこもりようもないわけですよね。ほっとくのが一番良いかなという気がしますけれど。外がうるさいから出ていけないというか、外が静まりかえっていたら、「ええ? マジか」と、出てくる気がします。オカンが飯を作って部屋の中に持ってきてくれるなんて、そんな贅沢なことないですからね。ほっといたら腹も減るし、出てきますよ」