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石井裕也監督に聞く「不安は克服できるのか?」

昨年、2014年9月23日(火・祝)東京国立近代美術館フィルムセンター・大ホールにて、第36回PFFの特別企画「映画監督への道」として、『舟を編む』、『バンクーバーの朝日』で大注目の若手監督・石井裕也監督に登壇いただきました。
当時の最新作『ぼくたちの家族』の上映と、「不安は克服できるのか?」をテーマにトークイベントをおこないました。

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ここから、質疑応答が始まります。

参加者:弟を演じる池松壮亮さんが、再検査を受けられるとわかった時の感情を目だけで表現する静かな芝居がすごくいいなと思いました。あれは監督がコントロールして作られたものですか?

石井監督:池松君は芝居に関して凄まじい勘を持っていて、このシーンが勝負どころだとあらかじめ分かっていました。なので、最初はあからさまに驚いた芝居を作ってきたんです。そこに、あえて思考が全部奪われたような表情をしてみて、という演出をしました。なぜなら、池松君の目にはすごい力があるので、それだけで十分だったんです。役者の魅力を調節して見せることが演出だと僕は思っています。池松君を揺さぶってみて、共同作業的に生まれたのがあの芝居です。

参加者:僕も次男で兄がいるんですが、兄はやりたいことがあったのにサラリーマンになって、でもいざとなった時には頼りになるというか。ただ現実を待つだけではなくてその現実を切り開こうという姿勢にあって感動しました。監督は若い頃に母親を亡くされた実際の経験から、「あの時はこうだった」または「本当はこうしたかった」など映画に反映されている部分はあるのでしょうか。

石井監督:内容については、原作と映画で変わっていることはほとんどありません。坂の上でのヘッドロックは新たな創作で入れましたが。母親が死んだのは僕が7歳の時だったので、当時何ができるということもなくて、この映画が第二ラウンドというか、「今だったらどうするか」ということはものすごく考えました。そういう個人的な思いのようなものは反映されたとしても、内容を変えたわけではありません。

参加者:カメラマンの話がありましたが、自分であらかじめカット割りを決めてるとか、ある程度カメラマンに任すとか、どういう指示の仕方をされているのですか。

石井監督:「作品に対して最も深く考えているのは自分だ」という自負がありますから、僕のイメージは現場に持って行ってまず提案します。でも映画の面白さはそれを超えていくことにあるわけです。いい方向に変わっていくのだとしたら、人の意見はどんどん取り入れていきます。それが集団制作の醍醐味でもあります。例えば手術室の前のシーンなんかはカットを割らずに背中からずっと撮るというは確固たる意志があったので、そのイメージのまま撮りました。でも基本的には、芝居の段取りが決まった後にカメラマンの藤澤さんの顔をちょっと見てみるんです。カメラマンがその芝居に対して乗ってる時と乗ってない時があって、乗ってて「俺はこう撮りたい」という意見が出てきそうな時は「どう思いますか」って聞いてみます。

荒木D:自分が映画に対して一番考えているという状態でいないと、周りの乗っている意見やアイディアを感じ取れないのですね。

石井監督:それが一番大事ですね。人の見方や意見、アイデアに敬意を払うこと。いつ何時でも面白いものが生まれて良いように僕は構えているし、そうあるべきと思っています。

荒木D:全ての仕事に共通して言えることですよね。けどそう思っていると、最初の企画から公開まで気を抜ける時間がないんじゃないですか。

石井監督:実際、ちゃんとできてるかわからないですけどね。でも映画1本に自分の全てを出し尽くしている感覚はすごくいいですよ。全力ってそんなに出せないことじゃないですか。それはとても幸せなことだと思っています。

石井裕也Yuya Ishii

1983年、埼玉県生まれ。大阪芸術大学の卒業制作として監督した『剥き出しにっぽん』(2005年)が第29回ぴあフィルムフェスティバル「PFFアワード2007」にてグランプリ&音楽賞(TOKYO FM賞)を受賞。08年、アジア・フィルム・アワード第1回「エドワード・ヤン記念」アジア新人監督大賞を受賞し、国際的にも注目を浴びる。第19回PFFスカラシップ作品『川の底からこんにちは』(10年)は第53回ブルーリボン賞監督賞を歴代最年少で受賞。13年『舟を編む』では、史上最年少で第86回米国アカデミー賞外国語映画部門日本代表作品に選出され、第37回日本アカデミー賞最優秀作品賞他、その年の国内映画賞を総なめにした。その他の主な監督作は『ぼくたちの家族』 (14年)、『バンクーバーの朝日』(14年)など。

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