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PFFディレクターBLOGRSS

2012/12/11 00:52:41

川島雄三・今村昌平・小沢昭一・田中絹代・新藤兼人・市川準・犬童一心・・・歴史の伝承を考える夜

タイトルがやけに長いブログですね・・・人名だらけ。
しかし、週末からなんだか人名で溢れております私の頭のなかです。

8日、土曜日に、横浜のシネマ・ジャック&ベティにほど近いリノベーション・アートスペース&カフェ「nitehi works」にて行われた、映画懇談「映画力!」に参加させていただきました。現在このスペースで展開しているグラフィックデザイナー小笠原正勝さんの展覧会「あの遠い日の映画への旅」と、シネマ・ジャック&ベティの60周年記念上映をリンクした企画です。上映4作品(『さらば愛しき大地』『永遠と一日』『悲情城市』『ゲームの規則』)のポスター始め、公開時のビジュアルワークを小笠原さんがなさっているのです。
4作品とも、超傑作必見ですが、うちから横浜がちょっと遠い・・・

「nitehi works」は、シネマ・ジャック&ベティの斜め前に位置する、信用金庫だった建物を改装した、とても雰囲気のいいスペースでした。シネマテーク高崎や、以前の映画美学校や、馬車道の東京藝大大学院など、古い金融関係の建物のリノベーションは、ほんとにいいですね。うっとりします。

映画懇談「映画力!」は、午後1時から夜8時半まで続く4部構成で、私は2部の「映画っていったい何?」という壮大なテーマにお誘いいただきました。
間抜けなことに、来場者にPFFのことを知っていただくための配布資料を持参忘れました。故に、私がどこの誰やら、何をしてるのやら、不明なままで話をしたことが失敗。そして、映画、特に「作品」についての話題になる映画ファンの集う懇談会において、私たちの仕事は、どうしても「つくり手」それも、「未来の、未知のつくり手」に特化されがちであるため、「映画」という、既に眼にするときには「過去」の作品に関する懇談の中で、どうもズレてしまう傾向を、再確認しました。
つまり、ちょっと場違いな自分を感じました。
あまりこういうお誘いを受ける機会はないのですが、過去のいくつかの経験でも同様の感覚を覚えたことがあり、映画の仕事の多彩さを思いました。

実のところ、映画の仕事をしている人間のほうが、映画を好きで観ておられる方々よりずっと映画について語る機会が少ないのではないかと感じることがあり、大変貴重な体験を得、横浜からの帰途、敢えて各駅停車の電車を選んでいろいろ考えていました。あらゆる意味で「映画を伝える」、もしかしたら「映画の伝承」?というのは、大きな課題だなあ、と。

そして、翌9日は、銀座シネパトスでの、「森田芳光祭」でした。
トークのあと、涙ぐむ森田組の方々や、シネパトス閉館を惜しんで製作された映画『インターミッション』のポスターを眼にして、前日も感じていた、「映画の伝承」ということについて考えながら、『北のカナリアたち』を拝見しました。今頃ですいません。ヒット作品は、つい後廻しにしてしまう傾向があります・・・

すごく感動しました。この映画の、次代への映画の伝承に。
黒沢満プロデューサーも、阪本順次監督も、吉永小百合さんも、猛吹雪の中でのこのチャレンジ、素晴らしい。
吉永さんが与謝野晶子を演じ、有島武郎を演じる松田優作さんと共演しておられる深作欣二監督の『華の乱』や、ふとどこかで、吉永さんが田中絹代さんにみえて思い出す市川昆監督の『映画女優』(新藤兼人監督の「小説・田中絹代」が原作)や、あんな映画こんな映画をば~と思い出す、「映画力」の高い映画に、勿論、出演者スタッフすべてに、感動しました。

なんと申しましょうか、名実ともに「生きる映画史」であり「スター」である吉永小百合、という存在をがつっとみせられました。そして、日活の女優が、東映映画を、東映の俳優が、東宝映画を支える(高倉健さんですが)今日の日本映画の現状も、大変波乱万丈面白い歴史であることを再認識していたら、今度は小沢昭一さんの訃報が・・・

この数日の私のひとり名画座テーマは「脚本・今村昌平」でした。
友人に借りた小沢昭一主演、西村昭五郎監督『競輪上人行状記』がものすごくて、即!今村昌平脚本作品の特集を始めたところでした。
勿論、このような企画がすんなり通る時代への感動と嫉妬が伴う、日本映画黄金期作品です。

そして、小沢さんと今村さんと言えば、川島雄三監督。
「小説・田中絹代」はじめ、新藤兼人監督は、師・溝口健二監督にまつわる作品や著書を残しておられますが、今村監督の川島雄三伝「サヨナラだけが人生だ」も名著。
川島さんといえば、日活。今村さんも、松竹から日活に移籍したことで川島監督に出会えたわけで、映画会社という明確な雇用機関があった時代に、崇拝する監督のもとで腕を磨いたあと、独立プロダクションを設立して、金銭的に苦労を重ねた今村さん(新藤さんも勿論ですが)。50~60年代のそうした独立プロで鍛えられた監督たちの時代のあと、80年代あたりから、自主映画から始まる監督たちの時代が来る訳ですが、では、そこでは伝承は?と思う時に、市川準さんを思い出します。

市川準監督は、最初にPFFの審査員として参加くださった89年には、スカラシップ作品『大いなる学生』のプロデュースをしてくださり、二度目、94年にはグランプリ『寮内厳粛』の佐藤信介監督を脚本家として抜擢くださり、PFF25周年記念のパーティーにお招きした際には、その年の入選作品を観てくださり、また、犬童一心監督の自主映画『ふたりが喋ってる』をみて感動するとすぐ、突然の電話で犬童さんに『大阪物語』の脚本に依頼し、その犬童監督がPFFの審査員として知った群青いろの作品の話を聞いて、早速観て下さり、即出演などの抜擢をくださったりと、「力のある者は、無名の者にチャンスを与える」ということを、常に実行下さる方でした。その偉業を、犬童監督が継いでおられることに感動します。

なんでしょうか、このだらだらと長いブログは。
学校という場所で、映画の技術や経験や思想の伝承をするという動きがピークに達している感もある現在の日本。いえ、世界的傾向でもあるのですが。
商品としての映画が弱体化して、映画の定義も多様化して、伝承のポイントを探している映画の世界、という感を再確認してみたこの数日の私。
「伝承」は、これから一層大きな課題になりそうです。
映画のみならず、映画祭も、あるいは、あらゆる場面で。
「力のある者は、その力を未来の人のために」
ですね。

2012/12/06 02:10:47

うろたえる夜

中村勘三郎さんのご逝去が、時を経るほど残念でかなしくて、狼狽えています。
こころを落ち着かせようと、暖かかった昨夜は、自宅まで、2時間半ほど歩いてみたのですが、昨年来の、立川談志さん、若松孝二さん、中村勘三郎さんと、自分のやるべきことに挑戦し続けてきた方々の相次ぐご逝去を考えてしまい、更に、勘三郎さんは、57歳という若さが、やりきれず。

「自分がやらねばならないこと」に対する強烈な情熱。それがある人は、芸風を超えて、人を魅了すること全く「映画」も同じです。そんな人たちに、どれだけ仕事を教えてもらったか・・と改めて考える散歩でした。
ファン、というのとはちょっと違う、「やるべきことを全力でやることでしか、次の課題がみえてこない」ということを体現する人に対して、ひれ伏さずにはおられない。そんな感じの存在。好き嫌いではないもの、です。

特に"客商売"は、自分の仕事を愛して、その楽しさ、素晴らしさを、人に伝えようと努力する商売。それはゴールのない、変化し続ける仕事で、地獄にも天国にもなるもの。そんなことを感じさせてくれる舞台をみることで、自分の心を引き締めていた気がします。

そして本日は、かねてから参加したかった塩田明彦監督の「映画表現論ー演技と演出」の最終回を体験しました。アテネフランセの皆様との企画打ち合わせを、あわせて置いてくださったので実現しました。今回は、ブロンソンとカサヴェテスと神代でした。期待を超える面白さで、全回を体験できず残念無念です。

現在、来春テアトル新宿で実行予定のイヴェントと、秋の第35回PFF開催にむけて、企画を練っています。企画というのは、人の話を聞くことによって、色んな芽が顔を覗かせ、花開くなあと痛感する実りある一日となりました。

第35回PFFのコンペティション部門「PFFアワード2013」の公募詳細はまだ発表準備が整っておらずご心配をおかけしておりますが、前回と変化なく進む予定です。
正式発表まで、今暫くお待ちください。

2012/12/05 03:28:20

逝かれた人たちが残してくれたものについて考える12月になりました

前回のブログで、北朝鮮北朝鮮と書いておりましたら、国名を北朝鮮民主主義共和国と書いてしまいました・・・・北はいらない・・・・赤面するばかりです。
大変失礼致しました。
イヴェントの実現にむけて行動中です。

さて、いよいよ12月に突入し、一年=365日とは信じられないほどのスピード迫りくる2013年。「一日って一時間?」と、いささか焦っています。
PFF事務局では、PFFのロゴを干支にアレンジした年賀状を、毎年、大島依提亜さんにデザインしていただいています。「12支が揃うまで続けましょう!」と始めて、これまたあっという間にあと4年で一巡です。
全部揃ったら、額装して飾る日を楽しみにしているのですが、そのことを決めたときには、「12年間ロゴが変わることなく続くと疑いもしなかったのだなあ」と、今、その迂闊さに茫然としました。いや、現在PFFロゴが変わる予定は全くないのですが、万が一の場合、を想像してなかった・・・
危機管理能力だけは常に磨いておかねば、と、またまた反省です。
それはともかく、来年の干支の年賀状デザイン、かなり強烈なものをいただきました。
今公表するわけにはいきませんが、年明け早々にお目にかけられるよう、準備したいと思います。

と書いていたら、中村勘三郎さんの訃報が・・・勘三郎、玉三郎、猿之助(先代)の3名が、歌舞伎を変えるまっただ中の時代を体験できた自分を、非常に幸運だったと噛みしめています。スーパー歌舞伎を、コクーン歌舞伎を、平成中村座を体験しなかったら、ここまで歌舞伎を見に行く習慣はつかなかったでしょう。
「きっかけ」そこをつくることの重要さを痛感します。
そして、家族の不幸にも舞台を続けるという役者という仕事。毎日毎日同じクオリティを提供することを求められる多種多彩な仕事の中でも、生身の人間が観客の前に立つという、舞台の持つパワーには、これまで数えきれない程の活力をもらってきたことを、改めて想いました。

昨年12月の愕然とした訃報は森田芳光監督でした。
8日に、ぴあから一周忌のトリビュート企画として「森田芳光祭<まつり>」という特集号が発売されます。PFF事務局がその発売告知をお手伝いしており、内容を少し拝見しました。
眩暈がするほど豪華なラインナップです。秘蔵写真も「おお!」の連続。
そして、丸山健二原作、沢田研二主演の『ときめきに死す』をトリビュートする方、多い。DVD発売の熱望される、幻の映画でもあります。

9月の第34回PFFでは、森田監督の秘蔵8mm作品を上映させていただきましたが、会場には森田作品のポスターをフィルムセンターのご協力で展示しました。
『ときめきに死す』もありました。
PFF初日には、菊池成孔さんをお迎えして「カルトブランシュ」という上映とトークで構成する企画を行ったのですが、菊地さんが、"『クレイジー黄金作戦』と1967年"というテーマにするか、"『ときめきに死す』と1984年"にするか、最後まで悩んだとおっしゃっておられ(結局『クレイジー黄金作戦』でした)、偶然、森田監督企画と重なる年だったこともあり、ポスターをみながら、"『ときめきに死す』と1984年"をいつかどこかで・・・と願ったのですが、ありました!この本の中に。
必読です。
他にも驚きの言葉が溢れる「森田芳光祭」。ぴあで発売だからということ抜きで、大推薦です!


2012/12/02 10:40:49

朝鮮民主主義人民共和国の映画

東京フィルメックスでは、内田伸輝監督が熱く語った通りの結果で、驚いた昨夜でしたが、学生審査員賞を、高橋泉監督の『あたしは世界なんかじゃないから』が受賞したこともうれしい驚きでした。高橋さんも"賞男"という形容詞がつきそうです。
と言いながら、やはり映画祭運営の立場からは、受賞作品以外も、すべてみてほしいコンペティションです。

映画祭が開催されている時期は、「この機会がないと見逃す・・・(職業上、その危機感がいつもあります)」という焦燥にかられ、映画祭作品チェックを最優先になりがちなのですが、一般劇場公開作品も、その、公開期間のめまぐるしい短縮のため、現在では映画祭並みに焦らされます。

半月前に、都内でみることのできる作品の中で、これはみとかなくちゃ・・・と思うものをリストアップしてみると、40作品を超えてしまい、この中からどれを見るか考えている間にどんどん上映終了になる・・・という現実に冷や汗が出ました。
「観たい映画が溢れかえって、どうしていいかわからない・・・」贅沢を通り越して悩みとなる、とんでもない状況がここにも。そして、「もうお手上げ」と観ずに終わり、後悔する。その繰り返しをしてるかもです。

そんな中、有楽町にある日本外国特派員協会で、日本在住のドイツ人ライター、ヨハネス・シュールヘンさんが出版した、北朝鮮映画に関する書籍紹介の夕べがあると、山形国際ドキュメンタリー映画祭の藤岡さんから教えていただき、出かけてみました。

初体験の日本外国特派員協会。古式ゆかしい西洋の「クラブ」形式で、食事もできれば、バーもある。ここで、各国、各社の記者たちが、交流を続けてきたのでしょう。
イギリス映画でもよく見る「クラブ」=男の社交場。
"since1945"とくっきりと書かれているように、多分日本の各組織で1945年に一挙導入されたこの"クラブ"のなかで、夢の中に生きた男たち・・・まんま時間が止まった人たちも多かったのだろうなあ・・・と想像しながら、近年は、使用フロアが3フロアから、2フロアに減り、さまざまな予算も削減になっているということで、インターネット時代の記者の仕事の変化をうつすなあと、ひどくしみじみとしてしまいました。

何故北鮮映画関係の企画を教えてもらったかと申しますと、本年の映画祭世界で話題になった映画のひとつに、イギリス、ベルギー、北朝鮮合作のCOMRADE KIM GOES FLYINGという新作があり、それを釜山で見逃して残念がっているときに藤岡さんが一緒だったからでした。

COMRADE KIM GOES FLYINGは、近年西欧でブームという北朝鮮=ピョンヤン旅行にも象徴されるように、キッチュでノスタルジックな、古き良き=西欧社会では企画の通らない=家族のメロドラマを、北朝鮮映画というフックで実現させようと、イギリスとベルギーの監督が考え始まった企画で、北朝鮮のOKをとり、現地で撮影されたのです。出演は北朝鮮の俳優たちです。(え~、映画の出来は話題にならないところをみると・・・・ですが、日本の映画祭でどこか上映してくれないかな~と夢見てます)

それにしても、開きそうな扉があると、ガシガシ飛び込む欧米人、怖がっておうちにこもる日本人、という図は近年益々くっきりしてきた気がします。チェコで最初に映画祭を始めたのは、そういえばアメリカ人だったなあ、とか、中国語の堪能な欧米人であふれかえる北京のバーとか、映画祭関係での昔の体験を、ふと思い出します。

なんだか、すごく前置きが長くなってますが、
北朝鮮映画は、日本から特撮技術を招聘してつくられた『プルガサリ』の製作体験記を多く読むことができますし、韓国のシン・サンオク監督が誘拐されて、北で多数の映画を撮り、東ヨーロッパ経由で脱出した体験記「闇からの谺」が日本では文庫本になっています。そして、明治学院大学で教えておられる門間貴志さんが、この5月、「朝鮮民主主義人民共和国映画史」という大著をなされ、手に入る情報はかなりあります。

門間さんは、西武グループカルチャーの華やかにひらいていた80年代に、今はなき、渋谷シードホールで「フリクショナル・フィルム」という定義のもと、海外の映画に於ける日本人の描かれ方、に注目した特集上映を行い、その後、社会評論社から「フリクショナル・フィルム読本」としてシリーズ出版されて、更に多くの映画を紹介なさってます。
ごくたまにしかお会いする機会がないのですが、今回、日本外国特派員協会でお目にかかり、そのあと、かねがね興味のあった、シネセゾン、スタジオ200、シードホールという、今に続く映画文化を育てた西武系の場所について、色々とお話を伺いました。
(その話は、またの機会にご紹介します)

ここで話は飛びますが、私がほぼ週替わりで自宅モニター前で開催する特集。最近は「イップ・マンDVD化記念・香港カンフー映画特集」がありました。
衰退する香港映画で、久々のヒットを記録した『イップ・マン』シリーズ。このところ、映画で広東語が聞けると感動してしまう傾向にあり、ついひとり特集してしましました。で、博識の門間さんと話していると、出る出るイップ・マンの話も。イップ・マン映画は「日本人の描き方がよい」ということで北朝鮮で公開されたことや、本人は生涯絶対に日本人の弟子入りを許可しなかったことや、あれやこれや。

そこでも、ふと「日本人の描き方の悪い」映画をみることは難しい日本を思いました。
実際にそこに描かれたことは、みて、考え、議論し、という作業は、「現実」を把握する手段のひとつとして、あったほうがいい、映画はともかく、どんどんみたほうがいい、というのが、私の考えです。

それはともかく、門間さんとのお話は面白い、著書「朝鮮民主主義人民共和国映画史」も面白い、そこに紹介された映画もみたくなる。ここで何か企画を実現したいなあと、その夜強く思った私は、今、道を探っています。

来年、PFFは35周年です。実はそっちの課題は大きくて「他の企画してる場合?」と自分に厳しく問わなくてはなのですが、北朝鮮映画、そして、昨日ちょっとお話しました群青いろ作品、2つの企画は実現したいなと、年末までの残り少ない日々(それも神戸でのPFF開催で、関西に行く)のやりくりを考えているのでした。

勿論、3月には恒例の「世界が注目する日本映画たち」を所沢で開催です。こちらは、チラシもすでに配布中!是非、話題の邦画に漬かる3日間に参加してください!!
3日間で8作品『ヒミズ』『鍵泥棒のメソッド』『聴こえてる、ふりをしただけ』『かぞくのくに』『KOTOKO』『一枚のハガキ』『エンディングノート』『サウダーヂ』が一挙に体験できるお得で便利な3日間なのであります。

2012/12/01 18:40:09

東京フィルメックス

あっというまに、明日の閉幕となった東京フィルメックス。
今は、もう、コンペの結果が発表され、バフマン・ゴバディ監督の『サイの季節』の上映が行われているのでしょうが、本年も「コンペ作品全鑑賞」目標は達成できず、表彰式と一体となったこの回のチケットは事務局スタッフに使ってもらうことにして、溜まった仕事に取り組んでいる私です。

今回は、ゴバディ監督の姉、ナヒード・ゴバディさんとパートナーのビジャン・ザンマンビラさんの監督作品『111人の少女』がコンペに出品されています。この作品は、10月の釜山でもコンペに出品されており、残念ながら拝見できなかった私は、フィルメックスで必ずみようと心に決めていたのですが・・・・

実は釜山で、私と鶴岡慧子監督の『くじらのまち』組と、ゴバディご夫妻とお子さん一家の『111人の少女』組は、映画祭クロージングのレッドカーペットを歩けなかったのです。
昨年、釜山に参加した、『ダムライフ』の北川監督が、映画祭レポートに「別の通路に案内され、レッドカーペットを歩けなかった」体験を記していましたが、それと同じことを体験したのでした。
クロージングセレモニーへ向かうバスに乗せられ、バスを会場入口脇で降ろされ、入口で待つ映画祭ディレクターやチェアマンなどに迎えられ、会場に入るところで、左に向かう通路をゴバディ一家のあとについて歩いて行き、名前の貼られた席につきましたが、他の監督たちが全然来ない。
あれ~?と思いながら、暫く談笑していたのですが、ゴバディさんが、突然「あら?もしかしたら私たち、レッドカーペットへの道ではないところを来てしまったんじゃない?」と叫び、あ。そうかも、と気づいたら、続々とカーペットを歩くゲストの姿が巨大なスクリーンに映し出されはじめたのでした~~~~!!!
正直いって、私は、この長い長いレッドカーペットを歩み、このありえないほど大きなスクリーンに映るということがなく済んだことに、大変ほっとしたのですが、鶴岡監督は貴重な体験を逃すことになって、申し訳なく感じながら過ごすセレモニーでした。
そんな、失敗談を共有した『111人の少女』なのに、みてないなんて、と反省中。
*皆様、今後の体験のために、釜山ではクロージングセレモニー入口で、右に行くとレッドカーペットコース、左は、そのまま客席に続くのですよ!

それでも、フィルメックスで拝見できた映画もありました。
振り返ると何故か中国映画がそろって、我ながらびっくりしています。ワン・ビン『三人姉妹』、ハオ・ジェ『ディエダンのラブソング』、エミリー・タン『愛の身替わり』、ソン・ファン『記憶が私を見る』。あと1本、チョンジュプロジェクトのなかのイン・リャン『私には言いたいことがある』を明日みることができれば、ともかく中国映画は全部みたことになるのでした。

釜山でジャジャンクー監督と話したとき(『記憶が私を見る』のプロデューサーとして参加しておられました)「プロデュースにちょっと飽きたので、次は自分が監督」と言っておられたのですが、今回、ソン・ファン監督が「プロデューサーは撮影には口を挟まず、ポストプロダクションで色々な意見を出す」と答えていたときに、前作もそうだったなあと、思い出しました。
再撮影も厭わない、完璧主義の強烈なプロデューサーだそうです。ジャジャンクー。
ですが、その話はまた。

今回上映された中国映画で、公開が決定している『三人姉妹』。
これはもう、またしても必見作品ですね。
「人間は労働力である=牛馬と同じである」ことを、正視させられます。
朝から晩まで働きづめに働くとはどういうことなのか。頭を垂れます。
「勉強なんかして」となじられ、「笑う」ということを知らず、変な咳をしても誰にもケアされない小学生。それを撮影するクルーの胆力に、茫然としながら、この作品が居住しながら撮影されたのではなく、別の場所への移動の過程を使って、分断して撮られたものであることを聞き、少し、納得しました。
人間の可能性を伸ばすことの可能な環境や状況の見つけにくい場所を前に、どうすればいいのか・・・と思いながら、彼らの一年分かもしれない収入を一夜で使うかもしれない私たち・・・・ワン・ビン作品からは、やはり目が離せません。

邦画のほうは、公開の決定している作品が殆どなので、見逃した作品は後日拝見するとしても、群青いろの作品(今回は『あたしは世界なんかじゃないから』です)は見ることが困難です。どこかで、群青いろ作品一挙上映企画実現をと、考え始めています。
『おだやかな日常』の内田伸輝監督が、開口一番「『エピローグ』が圧倒的に凄い!『記憶が私を見る』もすごい!」と興奮していました。おやおやコンペ監督なのに、言うなあ~と面白がっていたのですが、その『エピローグ』見逃してしまい、とても残念です。初監督で老人の物語。ヘルマン・ヘッセみたいだなあと、ふと思いました。
ともかく、これから、賞の行方をチェックしてみたいと思います。

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